2017-04

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病理という世界へ 8

秋山正子著『在宅ケアの不思議な力』(医学書院)
―「図書新聞」掲載

 いまでこそ、終末医療や在宅ケアはさまざまなメディアで取り上げられるようになったが、著者が訪問看護師の仕事に取り組み始めた20年前は、末期がんの患者が家で最期の日々を過ごすという「在宅ターミナルケア」は非常に稀なケースだった。姉の肝臓がんによる死を在宅で義兄とともに看取った経験を自らの個人的なケースにとどめることなく、それを糧にして今日まで、家で人生の最期の日々を過ごし幕を下ろす人々のために何ができるかを考え続けてきた著者の取り組みには頭が下がる。
 もっとも特筆すべきは、訪問看護を医療と福祉をつなぐ要に位置する役割ととらえて、ネットワーク作りに尽力してきたことである。
姉の最期を看取った出発点からそれは始まる。本書の冒頭近くに20年前につくった「在宅ケアチーム」の図が紹介され、次の文章が添えられている。
 「当時は、訪問看護ステーション、訪問介護事業所、在宅医療支援診療所をはじめとした各種のサービスが制度化されていませんでした。それでもこの図から、『在宅ケアは利用者・家族を中心にチームケアで行なっていくのだ』という在宅ケアの基本が伝わってきます。多くの方々のサポートを得て実現した在宅ケアチームでした。」  
 その後01年に市谷に白十字訪問看護ステーションを開設、10数名の若いスタッフと手分けてして訪問看護に当っているが、始まりからチームケアを訪問看護の核にすえた著者だったからこそ、「命に寄り添うケアを生活の場にお届けします」というモットーが生まれてくる。「在宅ケアにかかわる仕事のなかで、誰もが一度しか生きることができないいのちに出会う幸せ、いのちの終りに居合わせる幸せをかみしめています」と、若い世代に訪問看護の仕事のすばらしさを訴えつづけることができるのだ。
 訪問看護師が必要とされる家は、基本的には死に瀕した患者が横たわって最期の日々を生きている場所であるだろうが、今日のような高齢化社会にあっては、高齢者の家庭も当然その視野に入ってくる。そして、ガン末期の人も、認知症の人も、老いた人々も日々をひたすら「生きている」ことになんら変わりはない。著者がめざす在宅ケアは、「誰もが一度しか生きることができないいのち」を生きている、そのいのちに寄り添いたいという一心に貫かれている。
 本書では高齢化社会における訪問看護師の役割を強く訴えている。たしかに高齢者はさまざまな病に直面することが多くなってくる。老老介護である場合も多いから、在宅ケアに訪問看護師が加わることで、老後の暮しの安心はぐんと違ってくる。何かあったら救急車や遠くの大学病院ではなくて、近くの医師や訪問看護師さんにすぐ連絡……そんなネットワークが、どこの町にもあったらどんなにいいことだろう。
 日々に訪問看護をするかたわら、「地域の人たちにもっと在宅療養や在宅ケアのことを知ってほしい」と「安心して暮らし続ける町をめざしてー地域医療連携を進めるために」というシンポジウムを開く。07年に東久留米市で開かれたのを皮切りに、このシンポジウムは医師や患者や福祉に関わる人たちを巻き込んで各地に飛び火し、各地でネットワークづくりが続けられている。各地で著者に共感する医師たちが立ち上がり、若い人たちが著者の生き方に触発されて訪問看護の道に入っていると聞く。著者の取り組みは三月十六日にNHK総合「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも取り上げられた。家で最期まで自分らしい生活を送りたい……こうした願いは、個人の思いだけでは実現できない。著者たちのネットワークづくりに注目しつつ、私たちも自分自身の問題として考えていかなくてはならないだろう。
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病理という世界へ 7

小堀昌子著・中村清吾監修『乳がんを抱きしめて―39歳で乳がん患者だった私の治療記』(プロモーションセンター出版)
―「図書新聞」掲載

 乳がんは日本人女性のがんの死亡率のトップを占める。初期段階で発見できれば再発はほぼゼロに押さえ込めるため、集団検診などではマンモグラフィーを取り入れるところも多くなっている。また、本人が触って発見できる唯一のがんということで、「自己チェックを定期的に行うように」という啓発がさかんに行われている。
 ここまでは、女性なら大方は知識として承知していることである。しかし、実際にわが身に乳がんの疑いがふりかかってきたらどうだろう。多くの女性はどうして私が、と頭が真っ白になり、オタオタしてしまうだろう。
 しかし、本書の著者はちがった。何げなく自分で触診してしこりを発見したとたんに「乳がんではないか」と思い、すぐさま病院に行く。初診の医師に不信をいだくや、周囲の信頼できる人に相談して、ただちに病院を変え、その結果、乳がん治療の名医にめぐり合い、「中村先生は、私にとって信頼できる医師であり、尊敬できる人である」「患者に病院に行くことを楽しく思わせてくれる中村先生は、私にとって、世界で一番の主治医である」「私は乳がん治療に関して、中村先生のおっしゃることは《信じて悔いなし》と思っているので、絶対的に信じ、指示に従っていくつもりである」と言い切るまでの信頼感を抱くにいたる。
 こうした信頼関係は、ひとえに著者の前向きな生き方から生まれている。
 「『乳がん』だった時期も私の人生の一部で、『乳がん』になったことはマイナスなことかもしれませんが、意外に多くのプラスももらったということです。すでに『乳がん』が私の人生の一部になってしまったのであれば、『乳がん』にかかった事実も含めて、前向きによく頑張った自分を抱きしめてあげたいと思っています」(あとがき)
 こう言い切れる著者は素晴らしいと思う。
 著者は当時三十九歳。広告制作会社の専務をつとめるバリバリのキャリアウーマンである。著者が選んだ病院は聖路加病院。そこで本書の監修者でもある乳がんの名医、中村清吾医師と出会う。
この初対面のときの感想がふるっている。十一時の予約で診療をしてもらえたのは六時すぎ。このとき、著者に中村医師に関する知識は、乳がん治療の名医という以外、ほとんどなかったそうだ。
 「診察室の扉を開けて中に入る。中村先生は、やはり、できた人だった。中村先生のほうから『こんにちは』とあいさつをしてくださった。当たり前のことだけど、結構できない人が多いんだよね?。」診療終了後、「『ありがとうございました』と言うと、『今日はお待たせしてしまって、すみませんでした』と先生から言われた。正直言って驚いた。耳を疑ったほどだ。そんなことを『先生』と呼ばれる人が言うなんて、露ほども思っていなかったからだ。先生こそ、長い時間お疲れだと思う。」 
 この感想は、著者が乳がん治療に積極的に立ち向かう大きな原動力となっていく。 
両親には告げず、親代わりとも言える会社の社長に相談。しかし「犯罪者じゃないんだからこそこそしたくない」と、ともに仕事をしている会社のみんなには状況をはっきり知らせる。妹と親友に打ち明けたあとは、ひたすら中村医師を信じて治療に邁進する。
 明確な診断がつくまでの長い検査をへて、ようやく治療方針が決定する。著者が治療を受けた二〇〇五年当時は、手術前に抗がん剤の投薬および放射線治療をしてがんを小さくしてから手術するという治療方法は日本では臨床試験段階の先進治療だったが、著者は「よりメリットがありそうな治療を受けられる資格があるなら、せっかくだからやってみよー」とその臨床試験に参加する。
 そして九ヶ月にわたる抗がん剤治療と放射線治療、手術までの様子が、カラッと爽やかな筆致で活写されていく。闘病記を面白いといっては失礼だが、読者は著者といっしょに中村医師に向かい合い、RI&CTを受け、抗がん剤を打たれ、ストレッチャーに乗ってドキドキしながら手術台に運ばれていく。生き生きとディテールに富んだ文体は、まさに乳がんに率直に向かい合う著者そのものである。
 中村医師は「賢い患者とは、自分をよく知っている人」とおっしゃっているそうだ。また、ポジティブシンキングが治療に間接的な効果があるとも。しかし、それは、なにもがん患者に特別なことでなく、「日常の生活の中で、どんなシチュエーションであっても必要なことです」と著者は記す。そして、「乳がんと告知されたとしても、いますぐどうにかなってしまうわけでもないですし、治療方法も飛躍的に進歩してきていますので、前向きに治療していけば、怖さは克服できると思います。そのためにはやはり『知る』ことです。その『知る』きっかけとしてこの本が役立てば嬉しいことです」
 巻末には、著者の実際の治療プロセスに基づいた「知る」ための克明なデータが記されている。ここまで情報をわかりやすく開示してくれた著者に頭が下がる。
 最後に中村医師の言葉を引いておこう。
 「理想のチーム医療とは、医師のみならず、看護婦、薬剤師、ソーシャルワーカーなど多職種の人が、お互いの情報を共有し、協力し合う中で育まれるものといわれます。さらに、私たちは、その一員に患者さん自身も加わることが究極のチームと考えています」
 本書を読んでいると、そんな究極のチームの可能性を感じる。名医とのラッキーな出会いは偶然ではない。それまでの著者の生き方が運んできてくれたものなのだ。本書が実に爽やかな読後感を残す理由はそこにある。

病理という世界へ 6

村上智彦 著
『村上スキーム 地域医療再生の方程式』評(エイチエス)
―「通販生活」掲載

 連日の医療崩壊のニュースに暗い気持ちを抱いている人にぜひ読んでもらいたい1冊である。こんなに熱く地域医療に取り組む医師が存在しているのだと思うと、「できることはまだまだある」と希望が湧いてくる。
 その人の名は村上智彦さん。財政破綻した夕張市に乗り込んで、つぶれかけていた夕張市立総合病院を公設民営の診療所として再出発させた人である。村上医師の生い立ち、地域医療への関心を深めていく経緯、夕張での取り組み、日本の医療の問題点や未来について、インタビュー形式で本音がじっくり語られている。
 副題の「地域医療再生の方程式」が示すように、村上医師は「夕張に町づくりのために来たんです」と言う。どこの病院でもCTやMRIが受けられる必要はない。高度先端医療は都市部に集中させ、高齢化率の高い田舎の病院は予防とケアに取り組むべきだという主張は、明快だ。
 問題は医療の側だけではない。医者も悪いが患者も悪いと村上医師は言う。「コンビニ診療」や救急車をタクシー代わりに使うなどもっての他だと。
 「高齢化社会に合わせて、医療側も予防医療にもっとシフトチェンジした方がいいと思います」
 「町づくりなんです、医療って」
 そうだ。私たちが毎日暮らしているこの町のことなのだと思い知らされる。

病理という世界へ 5

児玉真美著
『海のいる風景―障害のある子と親の座標』・評(三輪書店)
―「図書新聞」掲載

 車椅子に乗った脳性マヒの青年と毎朝電車でいっしょになる。たまにその青年の前に押し出されたとき何か気負いのようなものが湧いてきて落ちつかない。またあるときは、両手のステッキで一歩一歩時間をかけて階段を登っていく青年とすれちがう。歩くなんて軽軽しく言えないくらい壮絶な歩み。なにかできることはないのか。しかし、そう思うこともまた、差別なのだろうかと気が滅入る。自然にふるまうってどんなことなのか。
 本書を読むと、そんな日々の逡巡を改めて突きつけられるような気がしてくる。差別意識は入れ子のように幾重にもなって私たちの心の中に巣くっている。かわいそうに、がんばってねという世間サマの「親切ごかし」に深く傷ついた日々を経て著者は「人間の善意というものは、実は相当に厄介な代物なのではないのか。人が誰かを励ましてあげたいと思う気持ち、誰かを案じる気持ちというのは、案外に相手を傷つけずに表現することの難しいものなのではないのか。思いを言葉にするということは、実はその思いが深ければ深いだけ、できにくくなるものなのではないのか――」と記す。
 著者が、重度障害のある子の親という状況に突如投げ込まれた日から世界は一変する。しかし、それは見えていなかったものが明らかになってくる過程でもある。「世間」という外部のなんと空疎なことか。学校や病院という名の「権力構造」はいかにそこに所属する人たちを蝕むものか。親子とはなにか。家族とはなにか。しかし、著者は深い挫折感に襲われつつも、露出してきた違和の一つ一つに真っ向から立ち向かっていく。なぜなら、違和の正体は煎じ詰めれば一人の人間に帰着するからであり、海ちゃんは著者夫婦のかけがえのないたった一人の娘だからだ。だれもが同じ重みで存在しているからだ。
 著者はとてつもなく熱い人だが、同時に遠くまで見とおす冷静な目をもった人でもある。そのことが本書を単なる奮闘記とは一線を画する位相へと引き上げている。
 本書の末尾近く、海ちゃんをあづける療育園の職員を前にしたスピーチで、著者は「皆さんにとって、ここは職場なんですね」と痛烈な批判をしている。「皆さんが一日の仕事を終えて家族の元に帰っていかれる、その場所こそが、子どもたちにとってはここなんです」「今、私の頭の中には、海とお父さんと自分と、三つの死が常に居座るようになりました。(略)お父さんと私とがいっしょに死んでしまうこともあるかもしれない。その時、私たちは海をここにおいて死んでいくしかないんです」
 痛いと声をあげることができない、孤独や悔しさを誰にも伝えられないそんな存在をこの世に残して死んでいくしかない親の無念。 
 大学で英語を教えている著者は「ケア」という言葉は「世話する」という意味ではないのだという。そのココロは「気にかかる」「放っておけない」「あなたは私にとってどうでもいい存在じゃないよ」ということだと、ケアの現場の人々に訴える。
 海ちゃんは15歳になった。
「子どもの障害は『治る』どころか、成長につれて、私たちの目の前で、なすすべもなく重度化していく。(略)専門家の目に私たちは『子どもの障害がすでに受容できた親』だと映るだろう。けれど、子どもの障害の受容に終わりはない」のだ。それでも著者はいう。「何ができるとかできないということよりも、本当は、そういう人間として一人の人が生きて、そこに、いる、ということが、すでに奇跡のようにものすごいことなんじゃないだろうか。そういう人が生きて、そこに一人、いる、というだけで、その人がいないのとは世界がまるで違ったものになる。どんな人であろうと、人間というのは、本当はそういう存在なんじゃないだろうか」
 障害のある子と親の物語は、現在の家族や共同性がかかえる歪みの深部にまで届いて、大切なたった一つのことを教えてくれる。

病理という世界へ 4

安井信之著
『ブレイン・アタック―手術させていただきます』・評(三輪書店)
―「図書新聞」掲載

 本書を手にとって驚いたのだが、実は私は今年の元日に本書の著者が所長をつとめる秋田脳血管研究センター(脳研センター)で診察をしてもらったのだった。 
 両親の住む秋田市に帰省中の元日の午後、激しい頭痛に襲われた。横になってもなかなかおさまらない。すると、両親と妹が、「脳研に電話しよう」という。元日だし、大したことないかもしれないし、そこまでしなくてもいいといったのだが、「もし、脳卒中かなにかの兆候であれば大変だから、脳研に電話していまの状況を説明すれば適切なアドバイスをしてくれるはずだ」といってきかない。病院が電話口でそんなに詳しく説明などしてくれるわけがないと横になりながら思っていたが、妹が電話して私の頭痛の症状をかいつまんで説明すると「多分大丈夫だと思いますが、念のため、すぐ来てください」という指示であった。
 さっそく車で脳研センターに行きほとんど待つこともなく診察してもらったところ、ありがちな頭痛で心配のない、という診断でほっとしたのだが、廊下で待っていると、脳卒中の発作に襲われたと思われる男性が搬送されてきて、ただちにMRI室へと運ばれていった。若い女性の医師のてきぱきと対応してくれたのが印象的だった。
 本書は私にあの元日の午後の一部始終をまざまざと思い出させてくれたのだった。
 秋田では昔から脳卒中は県民病として広く認知されていた。「あたった」(脳卒中で倒れること)とか「かすった」(発作や後遺症が軽かったこと)という言葉は日常茶飯事だった。そんななつかしい(?)言葉に本書で出会ったこともあって、いっそう本書に引きずり込まれてしまった。
 昨今の医療ミスの多発をはじめ、医療制度や医師への不信感は増すいっぽうである。にもかかわらず、秋田で肉親が脳研センターへ電話することをためらわず、また、電話で懇切なアドバイスが受けられることを当然のように語っていることに驚いたのだが、本書を読んで「なるほど」と納得した。
 あの秋田市の千秋公園の下にある脳研センターは、「脳卒中の撲滅」という志のもとに全国から集まった医師たちによる先進的な脳医療の実践、研究の場であり、そこでは外科や内科といったジャンルや学閥といった境界を越えて「脳卒中」というテーマのもとに医師たちが結集して、医療に当たっている日本で唯一の場所なのだった。「脳卒中は早期発見、早期治療が大切。なにかあったら、すぐ電話するようにと県民に強く呼びかけている」という、その成果は私の元日体験ではっきりと実感できた。
 秋田脳研センターは一九六九年に内科、外科、放射線科の三科で診療を開始した。開設当時の基本方針は「人材を得ること」「その人材を生かすこと」。「この二つの基本方針があったからこそ、東北というそれまでまったく縁がなかった私が秋田に来ることとなる、この血で力を発揮させることができたのです」と著者は記している。
 著者は京都出身で関西医科大学大学院卒業という履歴を持ちながら、秋田県脳血管研究センター(脳研センター)に赴任し、現在は第五代の所長をつとめて、秋田県の脳卒中撲滅に一命を賭してくださっている。「脳の美しさに魅せられて」脳外科医になった著者はこう語る。
 「日本ではまだ、自分が卒業した大学や提携病院などを離れて、よその施設に修業に出る人は多くありません。(略)私の考え方は違います。上司や先輩がどうであれ、医者はいずれ独り立ちし、技術は自分で責任をもつわけですから、自分の大学だろうとよその施設だろうと積極的に学んで、確信できる自分なりの脳外科を作ればいいと思います」(204頁)
 「一九九七年に新たに『脳卒中診療部』を設け、脳卒中に関わるすべての科が共同で医療チームをつくり、研究と診療を行っています」(219頁)。
 病気(部分)をみて人(全体)をみないと言われる現在の医療体制への見事な挑戦ではないか。
 本書は『ブレイン・アタック 手術させていただきます』というタイトルにあるように、秋田脳研センターを舞台に脳卒中の予防から最先端の診断・治療までがわかりやすくつづられたものである。脳卒中の発見を治療がどこまで進歩してきたか。また医師としての著者のこれまでの個人史も実に興味深いが、昨今の医療不信を払拭させてくれるような、熱い志に触れ得たことは大きな収穫であった。
 著者はあとがきでこう記している。
 「この本を綴った思いには、脳卒中・秋田県立脳血管研究センターを知っていただきたいということとともに、日本中の一人でも多くの方にこのセンターを利用していただきたいという願いもこもっています。来年から脳卒中再発防止のための精査の取り組みを始める予定です。脳卒中について何なりと、ご質問やご依頼があれば次のところにご連絡ください」
 こんな開かれた病院がわが郷里にあることを誇らしく思う。

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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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