2017-10

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環境という視線 3

ダミアン・ミレー エリック・トゥーサン著
大倉純子訳『世界の貧困をなくすための50の質問
―途上国債務と私たち』・評(つげ書房新社)
―「図書新聞」掲載

 アフリカをはじめとする途上国で深刻化している環境破壊や飢饉、貧困についてはしばしば報道されるが、それが途上国の抱える累積債務を原因としていることはほとんど報道されない。当然、なぜ途上国は債務漬けになっているのか。返しても返しても返済しきれないという状態がなぜ起っているのかについても私たちはほとんど知らないに等しいだろう。日本が途上国に対しておこなっている円借款は、90年代の十年間にわたって世界一だったというのに(2001年以降はアメリカに次ぐ第二位だそうだ)。もちろん、日本の円借款は返済義務を伴う有償援助が大部分である。
 では途上国はなぜ債務漬けになってしまったのか、また、債務危機はなぜ起ったのか。
 本書を読むとその経緯は一目瞭然である。五十の質問からなるQ&A形式がとられており、質問を順にたどっていくにつれて、先進国の世界支配の構図が手に取るようにあきらからになっていく。
 それは第二次世界大戦後、一瞬勝ち取られたかに見えた第三世界の国々の独立と自立の道が、地球上の一握りの先進国の私利私欲のために潰えていった歴史でもある。
 六十年代から七十年代にかけて行われた、だぶついたユーロダラーやオイルダラーの北の銀行からの南の国々への低金利による貸し付け、北の国々によるただ自国の都合だけの援助(それは援助どころか、北の国々の不況を打開するために南に購買力をつけさせる目的でなされたものに過ぎなかった)、そして、世銀による劇的な貸し付けの増加などでまず債務漬け状態がつくられ、その後八十年代にいたって米国の都合による大幅な金利上昇によって返済額が途方もなく膨れ上がり、途上国の輸出産品の市場価格は下落していき……といった具合に、北の国々の政治的、経済的なシナリオに翻弄される南の国々の姿が浮き彫りにされている。
 債務の利息は雪達磨式に増えていき、それを軽減してもらうためには、IMFや世界銀行の査定を受けなくてはならずそのためのプログラムがさらに債務を膨れ上がらせているという構図は、サラ金に痛めつけられる中小企業の人々を考えればわかりやすいかもしれない。大企業の一人勝ちで、持てる人材や秀れた技術も放出せざるを得なくなり、金を借りれば利息に首が回らなくなって、どんどんジリ貧になっていくのによく似ている。
 こうした事実こそ、実は学校の世界史がまっさきに教えるべき最重要事項ではないのだろうか。
 これは姿を変えた植民地支配である。地球上のごく一握りの先進国が「途上国債務(対外債務)」という形で、途上国を、いまもなお、いやこれまで以上に巧妙かつ過酷に締めつけ、支配しているのだ。途上国の貧困の原因はそこにある。
 「責任は先進工業国の側にあるのです(特に米国政府と北の銀行)。南の側の腐敗、誇大妄想、民主主義の欠如が事態を悪化させたのは確かでしょう。しかし、これらが危機を引き起こしたのではないのです」
 その当然の帰結として、「世界のもっとも豊かな一%の一年間の収入は、この星のもっとも貧しい五七%の人々の年間収入に等しい」という事態が引き起こされ、その事態はよくなるどころかいずれの途上国においても悪化の一途を辿っている……これが今日進行しているグローバリゼーションの正体である。
 対北朝鮮や中国との関係をめぐって、憲法9条改定論議がかまびすしいが、自国の平和や安全の問題だけに汲々としている場合ではないぞと頭をガツンとやられたような気がした。
 本書はCADTM(世界債務廃絶委員会)の代表とフランスの事務局長の二人の共著である。CADTMという団体が存在することを私は本書で初めて知った。CADTMは、八十年代にフランスで起った第三世界の債務の無条件即時帳消しを要求する運動を受けてつくられた国際ネットワーク(ベルギーのブリュッセルが本拠地)。「世界のさまざまな形態の抑圧に対抗し、それに変わるもう一つのラディカルなあり方を推し進めて」おり、運動は世界中に広がりつつあるという。
 その中心課題は「G8、多国籍企業、世界銀行・IMF・WTOトリオによる世界支配を終らせ」ること、「途上国の公的対外債務の無条件帳消しと第三世界に押しつけられるSAPs(注:構造調整プログラム)の廃絶」である。
 日本語版への序文にはこんなふうにかかれている。「今こそ私たちは大きく声をあげ、『もう一つの世界の可能性』をさらに力強く求めていかなければなりません。それは『北』であっても『南』であっても、裕福な債権者への債務返済ではなく、人間の根本的に必要なものの充足こそが最優先される世界です。世界規模で、すべての途上国の公的対外債務返済の無条件全帳消しへの闘いが加速しています」
 その解決方法は「債務の帳消し」にしかないことは、「すでに借りた金の何倍も返済されている」という事実をとっても明らかであることが本書を読むとよくわかる。グローバリゼーションに支配された「市場の論理」から脱却したアクションについて考え行動を起こすことこそ、平和や反戦につながる行為であると本書は確信させてくれる。
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環境という視線 2

石 弘之著
『世界の森林破壊を追う
  緑と人の歴史と未来』・評(朝日新聞社) 
―「通販生活」掲載

 東南アジアあるいはアマゾンの熱帯雨林破壊の情報は断片的に読んでいたが、世界各地の森林破壊状況を過去から現在までリアルに捉えた本に初めて出合った。本書はジャーナリストとして研究者として、世界中の森を自分の目で見て回った石弘之さんによる「緑と人の歴史の洗い直し」の一書である。
 石さんは「人類の文明史は森林喪失の歴史であった」という。私はかつては緑と人とのうるわしい共存関係があり、それが産業革命以降の近代化や人口爆発の結果、森林破壊を引き起こしたと思ってきたので、頭をガツンとやられたような気がした。
 本書は「森林」をキーワードに書き進められた一種の文明論でもある。  
 中国、インド、マレーシア、ケニア、アメリカ、ブラジル、オーストラリア、ロシアなど大陸別に一一カ国の森林破壊の歴史と現状が克明にたどられている。植民地支配や今日もつづくその後遺症、先住民弾圧の諸相……森林破壊はこうした支配被支配の代償として生み出されたものだったのだと深く再認識させられる。 
 燃料として、木材やパルプとして、農地や牧地としてつねに破壊にさらされてきた森林はいまや洪水や旱魃を引き起こし、やがて塩害や砂漠化という悲惨な道すじをたどっている。
 「世界人口の二%にすぎない日本は、世界貿易のなかで丸太輸入の五割以上、木材加工品輸入の三割近くを占める世界一の熱帯木材大国だ。日本は『伐り逃げ』と非難を浴びるほど東南アジアの森林をむさぼってきた」という言葉が胸にこたえる。
 石さんは先進国に求められているのはなにはともあれ「消費抑制」だという。私にできることは、古紙のリサイクルが木材やパルプへの依存を減らすことにつながるはずだと信じてがんばるしかないのだろうか。
 

環境という視線 1

宮下正次著
『炭はいのちをも救う』・評(リベルタ出版)
―「図書新聞」掲載
 
 ここ数年、炭のパワーが注目されている。炭をやかんの水に入れておくと水がおいしくなる、ご飯を炊くときに入れるとおいしくなる、部屋の隅におくと空気が浄化されるなどなど。わが家でもマツカサやリンゴに炭の粉を吹きつけたオブジェをいただいて部屋に飾ってある。
しかし、その炭のパワーが森の再生と密接に結びついているのだということは、今回本書を読んで初めて知った。
 森が危ないということを自分の目で実感したのは3年ほど前の夏に郷里の秋田に帰省したときだった。墓参りのために車で由利本荘市までの日本海沿いを走ったのだが、沿道の防風林のマツがすっかり赤茶けていて、それが延々とつづいているのだ。その後も毎夏通るのだが、いっこうに回復の兆しがない。対策は立てられないのだろうかと気になってしかたがなかった。
 ところが、本書を読むと、日本各地の状況はさらに厳しさを増していて、針葉樹ばかりか広葉樹の枯れも始まってきたという。広葉樹林ではドングリが結実しにくくなったという報告も届いているそうだ。川もヘドロ化して、魚、とくにアユやワカサギは激減しているという。だから食料を失ったクマやシカなど山や森に住む動物たちが、里に下りて来ざるを得なくなっているのだ。 
森林はなによりもまず森に住む生き物たちのものだ。さらに水を保有する水源涵養機能や土砂の流出を防ぐ土壌の緊縛力など、人間の暮しがこうむっている恩恵ははかりしれない。森林浴など人間の心身に及ぼす影響も大きい。大切な森が失われていくということは、人間の暮しの基盤が損なわれていくということなのだ。
 これまでも森林破壊、河川汚染の原因と対策についていろいろな角度から語られてきたが、著者はこうした自然の異変は「酸性雨」であると言い切る。
 本書で明らかにされているように、これまで行政や学者たちは、たとえば松枯れの原因は「マツノガイセンチュウ」という害虫のせいだ、アユの激減は水が冷たいために起る冷水病だ、ワカサギの減少はエサになるプランクトンがいなくなったからだといったように、起っている事象に対して、個々に原因を探り対策を取るということに終始してきたという事実がある。各地方自治体どうしの連携、官と民の研究成果の分かち合いといった相互の関係性の希薄さなどが、今日、ここまでの悪化を招いてしまった大きな一因にちがいない。これは、いまあらゆる場面で噴き出している縦割り行政、縦割り医療、縦割り組織の悪弊と同じ図式であろう。
 著者は一見バラバラに見えるこうした自然異変の原因を、「酸性雨」というキーワードを中心にすえることで見事に読み解いていく。
これらの異変は長い年月にわたって酸性雨が降り注いだ結果、「酸性雨が土壌中の微生物を殺し続け、生命循環の輪を壊してきた」からだと言う。土中のバクテリアはPH七(中性)で最も活発に活動できるのだが、PH五以下ではもはや生きられない。それが、日本海側の豪雪地帯の森の土壌はPH三・六という強酸性を示しているところまであるそうだ。さらにこうした強烈な酸性雨は「土壌の中から猛毒のアルミニウムを溶かして、実を作るうえで大切なリンを奪って、実を結べない森を作ってきた」のだと言う。土から栄養をもらえなければ木は枯れていくしかない。
 酸性雨とは言うまでもなく、化石燃料の使いすぎや車の排気ガスなどによる大気汚染によって引き起こされたものであるが、まさか日本の森林にもここまでの被害が及んでいたとは。
そこで登場するのが「炭」である。
 「炭は溶け出した猛毒のアルミニウムイオンを吸着し、微生物に住みかを提供する。(略)枯れの広がるマツの根元に炭を入れてやると、マツは元気を取り戻してきた」「炭は古くて新しい素材。燃料としてのエネルギーから、生命維持の特効薬として生かす時代になってきた」
 著者は「炭パワー」の伝道師として、韓国や台湾、ドイツやアフリカにまで越境していく。関東森林局に長く勤め、森林を深く愛してきた著者だからこそ酸性雨と炭のパワーを結びつけることができたし、国境を越えた活動をすることもできるのだろう。
 本書によれば、枯れのすすむ森林に炭を撒きつづける「炭緑化運動」が各地に広がっているという。「これまでの薬による後追い策では、日本は森を失ってしまう。微生物との共生を考えた事前対策に変えなければならない」という著者に同感である。
 森林の手入れのために切られた間伐材を焼いて炭にする。その炭によって森自身が再生する……なんと見事な循環だろう。自然の偉大さを思わずに入られない。


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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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