2006-06

家族をめぐって 1

菅原哲男著
『家族の再生―ファミリーソーシャルワーカーの仕事』・評(言叢社)
―「図書新聞」掲載

 児童虐待の胸がつぶれるようなニュースに接するたびに、虐待を受けた子供たちはいったいどうやってその後の人生を生き抜いていくのだろうかと暗澹とした気持ちになる。
 しかし、そうした子どもたちを引き受ける児童養護施設の内実は、ほとんど知られていないに等しいだろう。
 本書は、激増する児童虐待を受けて、新たに児童養護施設に配置されることとなった「ファミリーソーシャルワーカー(家庭支援専門相談員)」に携わる若い人々のために書き下ろされた一書であるとともに、85年に「ひかりの子どもの家」を設立し、その施設長として長年児童たちにかかわってきた著者が語りかける渾身の「家族の再生」論である。
 未熟な若い親たちの犠牲となって施設に収容を余儀なくされる子どもたちは、現在の変容した家族、崩壊した家族関係の象徴とも言える存在だろう。ここで語られる「家族の再生」とは、同じ現在を生きる私たち自身が模索すべき「家族の未来」に他ならないのだ。 
 これまで保護・養護を必要とする子どもたちの家族とのかかわりは、もっぱら児童相談所の「専門にして独占的な業務であることが常識」であった。養護施設の職員が家族とコンタクトを取ったり、訪問したりすることは越権行為とみなされることもしばしばあったそうだ。それが、九七年の児童福祉法改正で、養護施設は収容児童の養護だけでなく、自立を支援するための家族関係の調整を行うことまでも守備範囲にすることが明文化された。それにともなって、全国の児童養護施設に、入所児童の家族との調整役をつとめるファミリーソーシャルワーカーを配置することが決定されたわけである。
 「中身についてはほとんど語られないままに配置が進められるにいたった」事情を思えば、それは児童虐待の激増で手一杯になった児童相談所の家族対応を、少しでも児童養護施設に肩代わりさせるための法改正であり新設であるとも受け取れる。
 長年、こうした縦割り行政と格闘しつつ、入所児童の家族に深くかかわりながら、児童の自立と家族への再統合を果たしていく道を模索し実践をしてきた著者たちにとってははなはだ笑止なことであろう。
 肝心なことは、子どもたちという「繭の中の『いのち』の可能性」をいかに豊かに開いていくか、どうしたら子どもたちの家族関係を回復させることができるか、その一点だけなのだ。制度を整備すればするほど、肝心な一点が霧散していくのは、介護の場所も同様である。
 「子育て以前の事態として、児童養護施設の児童で顕わなのは、その親たちの『消極的出産』によって産まれた子どもが多いことである。できてしまって、中絶のときも見過ごしてしまった。産むより仕方ないといった例もとても多い。これは、多くの若い男女関係にみられていて、いまや普遍化しつつある」(79P)「はじめての出産と子どもの養育は、誰でもひとしくはじめての経験なのだから、祖父母や近親に手助けを求めるか、産院その他で必死に学ぶほかないのだが、その手立てをもつ力も余裕も失っているのである」(80P)  
 崩壊した家族関係の犠牲者として養護施設にやってきた子どもたちが「家族」を取り戻すことは果たして可能なのだろうか。著者は次のように述べている。
 「児童養護施設の子どもたちにとっての家族像は深く傷つき、根底的な『受け止め』の欠如が心身を凍らせている。もし、この子たちに少しの為せることがあるとすれば、『血に等しい水』あるいは『血よりも濃い水』を差しだし、その『凍った血』を受け止め暖めて共に溶かしあうことのほかに何の手立てがありうるだろうか。(略)血と水とは『対』の受けとめと差しだしにおいて、等しく働く関係の力なのだ。家族はそこで他者に開かれている」(86―87p)
 したがって、ファミリーソーシャルワーカーとは「どの家族のうちにもある『家族の原型』をこの世界に対して証しだてるような媒介者である」と著者は定義する。そして、「子どもたちが、児童養護施設という一つのホームを『普遍化された家族の原型』として捉えることができるとすれば、その原型を心身に踏まえて、地の家族とのつながりを捉え直し、さらにはあたらな『家族』を創る歩みをたどれるであろう」(88p)と記す。
 本書のタイトル、『家族の再生』とはその長く厳しい道程そのものをさしているだろう。
本書の後半では「光のこどもの家」で取りくんできた家族関係再生へのさまざまな試みが語られていく。どんなに深い傷を受けても親を慕い、親をかばう子どもたちを見ていると、親を見切るという最後の結論にいたるまで、著者たちは家族の再統合を目指して家庭訪問を繰り返さずにはいられないのだ。著者たちの家庭訪問は家族の流離に伴って全国に及び、両親への呼びかけ、祖父母や兄弟への支援要請とあらゆる手段が尽くされていく。ここまでしても、いちど壊れた関係を完全に修復することは不可能なのだと思うと、著者たちの営みにただただ頭を下げるしかない。
 「普遍化された家族の原型」としての「ホーム」と、両親を含み子どもとかかわってくれる親族や地域の人々など可能な限りの人的資源の確保―この二つを両輪とすることなしには、子どもたちが成長して新しい家族をつくっていくことはできないだろう。
 家族崩壊の連鎖を断ち切るという願いは、不可能性の霧にからめとられていくようにしか見えないかもしれない。しかし、「血よりも濃い水」を希求しつづける無償の営みがあり、その人たちによって守られている場所が存在する限りにおいて、その願いは必ずかなえられると私は信じたい。

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