2006-08

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物語のなかへ 7

遠藤祐著
『宮沢賢治の〈ファンタジー空間〉を歩く』・評(双文社出版)
―「図書新聞」掲載

 宮沢賢治の童話では、「銀河鉄道の夜」に象徴的なように、<死後の世界>あるいは<死者の国>とでもいうべき、もう一つの場所への通路が必ずそこここに口を開いている。
賢治が法華経の信仰を伝えるためにファンタジーというスタイルを選んだのは、このジャンルが現世とそうした死後の国とを自在に行き来したり、他の生類とやすやすと会話できるという特性を備えていたからだろう。
 しかし、賢治の童話がもっともすぐれているのは、法華経という一宗派を超えて信仰や生の本質に私たちを導いてくれることである。童話の中の山野を歩き、鳥や獣と語らいあっているうちに、それが自然と感得されてくる。鳥や獣に同化して、人という自分を異類のように眺められる視線を授けてくれる。
 本書はそんな賢治のファンタジーの世界を「語り手の存在」と「時間の流れ」から照射し、その「信」の重層空間を改めてたどろうという試みである。著者に導かれるままに賢治の<ファンタジー空間>を辿りなおしていくと、何度も読み返したはずの賢治の童話が、生の深淵と哀しみをいっそう深めて迫ってくる。
 本書では「雁の童子」「よだかの星」「烏の北斗七星」「フランドン農学校の豚」「オツベルと象」「シグナルとシグナレス」以上の六作品が取り上げられている。
 「宮沢賢治の童話をどう読むかという作業は、それぞれの物語をつらぬいて、<語り>の声が豊かな声量を響かせているのに、耳を傾けることなのだと思う」と著者は語る。語りに耳を傾けるとは、ファンタジー空間を歩きながら、賢治の抱いていた理念や信仰について思いを馳せることを意味しているだろう。
 日頃なんとも思わずに肉や魚を食べて生きている私たちだが、「よだかの星」や「烏の北斗七星」「フランドン農学校の豚」を著者とともにたどってみると、あらためて「生存罪」という観念に突き当たる。生きるために他の生類を殺さなければならないという自然の摂理は、食物連鎖の頂点にいる人間に限っては死の恐怖に突き落されることはないが、他の生類はちがう。その優位性に対する鋭い痛みが、賢治のファンタジー空間に身をおいた途端に突き刺さってくる。
 たとえば著者は「よだかの星」の前半を「受苦」または「受難」、後半を「三つの死」と命名する。三つの死とは「仮の死」「滅びの死」「再生の死」である。
 現世ではよだかは水平に飛行して生きている。水平飛行して生きるために、羽虫やカブト虫を飲み下さざるを得ない。この「生存罪」、哀しみの連鎖を断ち切るためには、存在自体を根底から転換しなくては果たせない。そこでよだかは水平飛行から垂直飛行へという大転回を図る。徹底的な受苦と二度の死の体験を通してはじめてそれは得られるものである。著者は「主人公をよだかたらしめた<造物主>が、よだかの死後に、生前の努力を祝福して、彼を天に挙げ、永遠の光を与えたというなりゆきを、わたしは『よだかの星』に想い描かずにはいられないのである」と述べて筆をおく。
 「烏の北斗七星」では、それは「地上の<祈り>」と「天空の<ひかり>」としてとらえられている。烏の少佐はマジエル様=北斗七星に、憎むことのできない敵を殺さなければならないという「生存罪」の桎梏から世界が解放されるようにと祈る。その祈りに天空=マジエル様は<ひかり>でこたえてくれると著者は感じている。
 著者はあとがきで「まとめてみると論はいずれも、六つの物語たちに<聖なるもの>の影の射すところに、注目していることがわかる」と記している。著者が物語の中で注目する語り手は、<聖なるもの>にもっとも近いところにいる存在と言い換えてもいいのかもしれない。著者はこの<聖なるもの>に寄り添う語り手を見つめることで、そこに「信仰」の無限の深まりを読み解こうとしている。そして賢治の童話が「ほんとうの神」について私たちを実に遠くまで運んでくれる力を備えていることをあらためて教えてくれる。
 『注文の多い料理店』の序に賢治はこう記している。
 「わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」
 心の糧について語っている文章であるが、いま改めて読み返してみると、賢治が、人が飲食の哀しみに象徴される「生存罪」から抜け出ていくための大切な方途として「これらのちいさなものがたり」が「ほんとうのたべもの」になることをどんなに願っていたことだろうかと思わずにはいられない。
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病理という世界へ 5

児玉真美著
『海のいる風景―障害のある子と親の座標』・評(三輪書店)
―「図書新聞」掲載

 車椅子に乗った脳性マヒの青年と毎朝電車でいっしょになる。たまにその青年の前に押し出されたとき何か気負いのようなものが湧いてきて落ちつかない。またあるときは、両手のステッキで一歩一歩時間をかけて階段を登っていく青年とすれちがう。歩くなんて軽軽しく言えないくらい壮絶な歩み。なにかできることはないのか。しかし、そう思うこともまた、差別なのだろうかと気が滅入る。自然にふるまうってどんなことなのか。
 本書を読むと、そんな日々の逡巡を改めて突きつけられるような気がしてくる。差別意識は入れ子のように幾重にもなって私たちの心の中に巣くっている。かわいそうに、がんばってねという世間サマの「親切ごかし」に深く傷ついた日々を経て著者は「人間の善意というものは、実は相当に厄介な代物なのではないのか。人が誰かを励ましてあげたいと思う気持ち、誰かを案じる気持ちというのは、案外に相手を傷つけずに表現することの難しいものなのではないのか。思いを言葉にするということは、実はその思いが深ければ深いだけ、できにくくなるものなのではないのか――」と記す。
 著者が、重度障害のある子の親という状況に突如投げ込まれた日から世界は一変する。しかし、それは見えていなかったものが明らかになってくる過程でもある。「世間」という外部のなんと空疎なことか。学校や病院という名の「権力構造」はいかにそこに所属する人たちを蝕むものか。親子とはなにか。家族とはなにか。しかし、著者は深い挫折感に襲われつつも、露出してきた違和の一つ一つに真っ向から立ち向かっていく。なぜなら、違和の正体は煎じ詰めれば一人の人間に帰着するからであり、海ちゃんは著者夫婦のかけがえのないたった一人の娘だからだ。だれもが同じ重みで存在しているからだ。
 著者はとてつもなく熱い人だが、同時に遠くまで見とおす冷静な目をもった人でもある。そのことが本書を単なる奮闘記とは一線を画する位相へと引き上げている。
 本書の末尾近く、海ちゃんをあづける療育園の職員を前にしたスピーチで、著者は「皆さんにとって、ここは職場なんですね」と痛烈な批判をしている。「皆さんが一日の仕事を終えて家族の元に帰っていかれる、その場所こそが、子どもたちにとってはここなんです」「今、私の頭の中には、海とお父さんと自分と、三つの死が常に居座るようになりました。(略)お父さんと私とがいっしょに死んでしまうこともあるかもしれない。その時、私たちは海をここにおいて死んでいくしかないんです」
 痛いと声をあげることができない、孤独や悔しさを誰にも伝えられないそんな存在をこの世に残して死んでいくしかない親の無念。 
 大学で英語を教えている著者は「ケア」という言葉は「世話する」という意味ではないのだという。そのココロは「気にかかる」「放っておけない」「あなたは私にとってどうでもいい存在じゃないよ」ということだと、ケアの現場の人々に訴える。
 海ちゃんは15歳になった。
「子どもの障害は『治る』どころか、成長につれて、私たちの目の前で、なすすべもなく重度化していく。(略)専門家の目に私たちは『子どもの障害がすでに受容できた親』だと映るだろう。けれど、子どもの障害の受容に終わりはない」のだ。それでも著者はいう。「何ができるとかできないということよりも、本当は、そういう人間として一人の人が生きて、そこに、いる、ということが、すでに奇跡のようにものすごいことなんじゃないだろうか。そういう人が生きて、そこに一人、いる、というだけで、その人がいないのとは世界がまるで違ったものになる。どんな人であろうと、人間というのは、本当はそういう存在なんじゃないだろうか」
 障害のある子と親の物語は、現在の家族や共同性がかかえる歪みの深部にまで届いて、大切なたった一つのことを教えてくれる。

物語のなかへ 6

槐和男著
『つっぱってしたたかに生きた樋口一葉』・評(教育史料出版会)
―「図書新聞」掲載

「たけくらべ」「にごりえ」などの作品は読んだことがなくても、作者である樋口一葉の名前を知らない人はいないだろう。明治半ばに二十四歳で早世したにもかかわらず、女性として日本の近代文学史上に燦然と輝く作品群を残した。このことは奇跡であると語る人もいるほどである。しかし、私たちは、師事した半井桃水との恋愛や金策をめぐるエピソード、一家が転々とした本郷菊坂町や吉原遊郭界隈、丸山福山町……こうした一葉をめぐる物語を断片的に知っているだけで、それらをトータルに結びつけた一葉の姿というものを実はほとんど知らないといっていい。夭折した薄幸の天才作家というイメージから少しも踏み出せないでいる。
 作品にしてもそうである。江戸時代までの古文から見れば、言文一致体に近い部分もあるものの、句読点もカギカッコもないあの擬古文はやはり読みにくい。現代語訳がなされるのもわからないではない。いくら名作といわれても読み通すのは大変なことにはちがいない。
 しかし、一葉の作品はすばらしい。「たけくらべ」も「にごりえ」も「十三夜」もいったんあの文体になじんでしまえば、少しも古めかしさを感じないどころか、どんどんと作品の中へ引きずり込まれてしまうはずなのだが。
 本書は永年にわたって樋口一葉を研究してきた著者による一葉の本格評伝である。一葉を取り囲むこうしたもやもやをすっきりと晴らして、作品へと私たちを導いてくれるかっこうの水先案内といえよう。
 本書のカバーに使われている樋口一葉の写真は、よく知られている聡明で生真面目そうな落ち着き払った一葉とは面差しがいささかちがっている。たしかに気は強そうだが、どことなくコケティッシュな雰囲気も漂っている。この写真が実物の一葉にもっとも近いと思われると記されているのを読んで、まず一枚ベールがはがされたような気がした。
 本書のタイトルは『つっぱってしたたかに生きた樋口一葉』。前著『一葉の面影を歩く』では「天才なんてものではない。短い生涯をつっぱって生きた。それが生み出した文学だった」と書いた著者だったが、本書を書くにあたっては「『つっぱり』に『したたか』を加えて二つのキーワードでなければ一葉は解けないと考えるようになった」と述べている。
 その「したたか」とはどういうことをさすのだろうか。私たちは読み進むにつれて、はじめはちょっと違和を感じたこの「したたか」というキーワードが、一葉と一葉が生きた明治という時代への著者の深い洞察と愛情に満ちた視線に裏打ちされたものであることを知ることとなる。
明治憲法が発布された年に父が死去して、戸主としての一葉の苦難が始まる。がしかし、いくら萩の舎で短歌を学んでいたとはいえ、小説家として生計を立てようと考える一葉はやはり「つっぱり」と「したたか」の両輪を兼ね備えた人だったのにちがいない。
 短歌を学んでいた萩の舎では四歳年上の三宅花圃が一流出版社から小説を出し、原稿料三十三円四十銭を得た。それに一葉は衝撃を受けたのではないかと著者は記す。生活のために職業作家を志す……こんなに明快な目的で小説を書き始めた一葉だから、「たけくらべ」が鴎外や露伴や緑雨に絶賛されても決して有頂天になりはしない。誰よりも「誠にわれは女成りけるものを」という思いを深く胸に刻み込んで生きた人だったからだろう。一葉の生活者としての「したたかさ」は、たった一人の文学営為の「したたかさ」と見事に重なり合って私たちに迫ってくる。
一葉は収入を得るために必死になりつつも、若い文学者たちと熱心に語らい、勃発した日清戦争にも深い関心を抱いている。近所の銘酒屋に働く女性たちの手紙の代筆もした。一葉の作品がみずみずしい情趣にあふれているのは、一葉がこうした日々の「生活」にこそ文学の源があることを知っていたからにちがいない。生活者として「つっぱってしたたかに生きた」からこそ、あんなにもすばらしい作品を生み出すことができたのだ。再び「たけくらべ」を手に取りたくなった。

物語のなかへ 5

R・ボーレン著 川中子義勝訳
『源氏物語と神学者―日本のこころとの対話』・評(教文館)
―「図書新聞」掲載

 源氏物語が英語で翻訳されていることは知っていたが、享受する人たちは、日本文学や日本文化の研究者やそれに類似した人々だろうとばかり思ってきた。
 ところが本書の著者は神学者である。略歴をみると、「スイスで十三年間牧師をつとめた後、ドイツの神学大学で実践神学教授をつとめ、88年に引退。詩人としても活躍。日本に3度来日」とある。長く牧師をつとめ、キリスト教の教理や信仰生活の実践を研究してきた人と源氏物語には、いったいいかなる接点があるのだろうか。
 実は私は、七十年代の後半、高田馬場の寺子屋教室で開かれていた、藤井貞和氏の「源氏物語を読む」の講座に五年間参加したことがあった。詩人で『源氏物語の始原と現在』の著者でもあった藤井氏の講座は、毎回毎回刺激的だった。ちょうどレヴィ・ストロースの『親族の基本構造』の翻訳が出た頃で、源氏物語は「婚姻とは何か」「国家とは何か」といったテーマをめぐって広がる迷宮のようであった。光源氏の出自やその運命は折口の貴種流離譚説に、さまざまな女性遍歴は「交叉いとこ婚」や「近親相姦のタブー」といった概念に重ねあわされていった。  
 私は本書を読みながら、あの日々をまざまざと思い出していた。
 読みすすめるにつれて、もう一つ驚いたことがある。それは、著者が日本の荒地派の詩人たちのアンソロジー(ドイツでは『橋上の人―日本の現代詩』というタイトルで89年に発行)の愛読者もであるということだった。
 しばしば引用されるのは鮎川信夫の「橋上の人」であり、「神の兵士」である。日本びいきとはいえ、荒地派のそれも鮎川信夫の詩に深いシンパシーを寄せているとは。
 訳者の川中子義勝氏はあとがきで「本書の叙述は、かならずしも平易なものではないかもしれない。(略)本書の文章は、随想というより、優れた意味で思想詩の詩集という内容を持っていると思う。文章も、むしろ散文詩に近い」と述べている。たしかにキリスト者としての言説や述懐は正直いって難解である。だが逆にいうと、その分だけ、神学者が自らの心の奥底で共鳴したり、反発を感じたりする「日本」―その異文化のありようが、不思議な手触りで生々しく伝わってくるように思われた。
 著者は聖書の世界に重ね合わせながら源氏物語の時空を読みすすめていく。
 光源氏や薫の「香り」は、神やイエスの「芳しい香り」に、二条院はエデンの園に、故・桐壺院の出現やその眼差しは、<あの方>に、明石で光源氏が抱く都への郷愁は、ユダヤの民のエルサレムへの思慕に……そして、そのように比較され得ることが少しも奇異でなく、むしろ源氏物語にそのように比定されうる部分があるということが、新鮮な驚きだった。
 西欧社会において、キリスト教が政治、経済、文学と、人間の営みのあらゆる諸層を貫徹していることを私たちは知っている。しかし、本書には、その強固さに置き去りにされてしまいそうな人間たちのわりなさや苦しさへの深い共感が見え隠れする。著者の文章のはしばしにそれを感じるのだ。
 著者が源氏物語を旧約聖書(ユダヤ教)の詩篇や雅歌と読み比べるときの生き生きとしたよろこばしさに触れると、キリスト教が強烈な一神教として世界を手中に収めようとする以前の、宗教の原型とでもいったものへの著者の深い共鳴を感じるのだ。
源氏物語はそうした視線を注がれることを喜んでいるように思えてならなかった。
 鮎川信夫の『橋上の人』への対峙の仕方にしてもそうである。今日の日本人で、この詩に思いをはせている人がいったいどれだけいるだろうか。もし、橋上にたたずんで、死者と生き残った生者と、戦後の焦土を見つめている一人の人間を描いた詩人と著者を「神」ということばが結びつけたとしたら、それは、著者が神学者であるというよりも、人間の心のありようについて深く思いをめぐらしてきた、その歳月の賜物であるだろう。 
 それはそのまま「日本」へ向けるまなざしにもつながっていく。私たち日本人の大多数は仏教徒でもキリスト者でもなく、しかし、まぎれもなく豊かな神観念の只中に生きている。そう考える著者はキリスト教の岸辺にたって、じっと日本をみつめている。

〈こども〉のなかへ 3

梓加依編著
『子どもたちの笑顔に出会いたい―読み聞かせ、ブックトークの魅力と実践』・評(素人社)
―「図書新聞」掲載

 本書には教師の「読み聞かせ」や「ブックトーク」への取り組みや親子の体験談が豊富に収録されている。
 「今、子どもたちへの読み聞かせや読書を進める方向に日本全体が動いています。『子どもの読書を推進する法』の施行や『子ども読書の日』の制定など、国を挙げて子どもの読書に力を入れだしました」「近年、子どもたちは語彙数が乏しくなり、文章を理解する力は低下し、学力も低下している傾向が明らかにされ、その一つの原因が『読書』をしないことであることが指摘されています。(中略)そうしたことから、読書を推進するということが行われるようになったわけです」(本書前書きより)
 もちろん、著者は読み聞かせや読書は法律までつくって「させられるものではない」ことを重々承知である。しかし、閉じこもりや不登校、いじめや自殺、殺人と深刻化していく事態を受け止めかねて、親も教師もすっかり自信を失ってしまっている時代だからこそ、あえて「読み聞かせ」と「ブックトーク」という?技法?で、事態を切り開いていこうとしているのにちがいない。
 私が「読み聞かせ」という言葉をしきりに耳にするようになったのは、3?4年前だっただろうか。「赤ちゃんのときから読み聞かせをするのが大事なんだって」というような会話を小耳にはさんだとき、ちょっと奇異な気がした。
 私自身、小さい頃に両親にさまざまな寝物語をしてもらった。擬音効果入りの風の又三郎や善太と三平の物語、桃太郎やカチカチ山の昔話に、現実以上のリアリティを感じて聞き入っていたひとときをいまでもありありと思い出す。あれほどの濃密な時間はなかったと思うと、子どもに自分の好きな物語を選んで読んで聞かせるということの大切さは、よくわかる。しかし、それはごく自然な子育ての一部分で、あえて「読み聞かせ」といったような用語を与える必要もないものだと思っていたからだ。
 本書に実践報告を寄せている教師たちも実はそれぞれが「読み聞かせ(昔はこういう呼び名はなかったが)」の素晴らしい原体験をもっていることがよくわかる。ただ、それらは深く心の奥底に仕舞い込まれて、日の目を見る機会が失われていた。
 本当はそのことこそが問題にされるべきなのではないだろうか。
 本離れ、読書離れというが、ケイタイによるメール、パソコンによるチャットなど読み書きの機会は、昔より格段に増えているのだ。生まれたときからテレビがあるという現実。言葉の溢れかえった状況の中で、子どもを「本」のある場所に取り戻す試みとは、実は、人間関係の結び直し、という意味でこそ有効なのだと思われる。
 生身の人間離れがすすみ、一対一の生身の人間関係をうまく結べなくなってさ迷う子どもたちを、果たして、本を媒介にして「肉声」の持つパワーに、生きた人間同士の交わりの場所に連れ戻すことはできるだろうか。
 「(読み聞かせやブックトークを通じて・筆者注)まず『子どもたちを知る』ことがとても大事なことです」「読み聞かせやブックトークをする時は(中略)先生の『人間』を出して子どもと関わってみてください」
 著者のこんな呼びかけは、痛々しい教育現場の実態を逆に教えてくれる。
 あらかじめ傷ついて生まれてきたといってもいいような現代の子どもたちに、「肉声」がしっかりと届けられるためには、まず大人の側の、一冊の本を手にとってその本に深く感動する心、その回復が求められている。
 両親の寝物語で育った私たちは、小学校や中学校で、書物に熱い愛情を寄せるセンセイに出会った。その数は決して多くなかったが、彼らの存在がその後、私たちを「文学の森」への誘うきっかけをつくってくれた。
 そんなセンセイが学校に必ず存在しているはずだと信じたい。

病理という世界へ 4

安井信之著
『ブレイン・アタック―手術させていただきます』・評(三輪書店)
―「図書新聞」掲載

 本書を手にとって驚いたのだが、実は私は今年の元日に本書の著者が所長をつとめる秋田脳血管研究センター(脳研センター)で診察をしてもらったのだった。 
 両親の住む秋田市に帰省中の元日の午後、激しい頭痛に襲われた。横になってもなかなかおさまらない。すると、両親と妹が、「脳研に電話しよう」という。元日だし、大したことないかもしれないし、そこまでしなくてもいいといったのだが、「もし、脳卒中かなにかの兆候であれば大変だから、脳研に電話していまの状況を説明すれば適切なアドバイスをしてくれるはずだ」といってきかない。病院が電話口でそんなに詳しく説明などしてくれるわけがないと横になりながら思っていたが、妹が電話して私の頭痛の症状をかいつまんで説明すると「多分大丈夫だと思いますが、念のため、すぐ来てください」という指示であった。
 さっそく車で脳研センターに行きほとんど待つこともなく診察してもらったところ、ありがちな頭痛で心配のない、という診断でほっとしたのだが、廊下で待っていると、脳卒中の発作に襲われたと思われる男性が搬送されてきて、ただちにMRI室へと運ばれていった。若い女性の医師のてきぱきと対応してくれたのが印象的だった。
 本書は私にあの元日の午後の一部始終をまざまざと思い出させてくれたのだった。
 秋田では昔から脳卒中は県民病として広く認知されていた。「あたった」(脳卒中で倒れること)とか「かすった」(発作や後遺症が軽かったこと)という言葉は日常茶飯事だった。そんななつかしい(?)言葉に本書で出会ったこともあって、いっそう本書に引きずり込まれてしまった。
 昨今の医療ミスの多発をはじめ、医療制度や医師への不信感は増すいっぽうである。にもかかわらず、秋田で肉親が脳研センターへ電話することをためらわず、また、電話で懇切なアドバイスが受けられることを当然のように語っていることに驚いたのだが、本書を読んで「なるほど」と納得した。
 あの秋田市の千秋公園の下にある脳研センターは、「脳卒中の撲滅」という志のもとに全国から集まった医師たちによる先進的な脳医療の実践、研究の場であり、そこでは外科や内科といったジャンルや学閥といった境界を越えて「脳卒中」というテーマのもとに医師たちが結集して、医療に当たっている日本で唯一の場所なのだった。「脳卒中は早期発見、早期治療が大切。なにかあったら、すぐ電話するようにと県民に強く呼びかけている」という、その成果は私の元日体験ではっきりと実感できた。
 秋田脳研センターは一九六九年に内科、外科、放射線科の三科で診療を開始した。開設当時の基本方針は「人材を得ること」「その人材を生かすこと」。「この二つの基本方針があったからこそ、東北というそれまでまったく縁がなかった私が秋田に来ることとなる、この血で力を発揮させることができたのです」と著者は記している。
 著者は京都出身で関西医科大学大学院卒業という履歴を持ちながら、秋田県脳血管研究センター(脳研センター)に赴任し、現在は第五代の所長をつとめて、秋田県の脳卒中撲滅に一命を賭してくださっている。「脳の美しさに魅せられて」脳外科医になった著者はこう語る。
 「日本ではまだ、自分が卒業した大学や提携病院などを離れて、よその施設に修業に出る人は多くありません。(略)私の考え方は違います。上司や先輩がどうであれ、医者はいずれ独り立ちし、技術は自分で責任をもつわけですから、自分の大学だろうとよその施設だろうと積極的に学んで、確信できる自分なりの脳外科を作ればいいと思います」(204頁)
 「一九九七年に新たに『脳卒中診療部』を設け、脳卒中に関わるすべての科が共同で医療チームをつくり、研究と診療を行っています」(219頁)。
 病気(部分)をみて人(全体)をみないと言われる現在の医療体制への見事な挑戦ではないか。
 本書は『ブレイン・アタック 手術させていただきます』というタイトルにあるように、秋田脳研センターを舞台に脳卒中の予防から最先端の診断・治療までがわかりやすくつづられたものである。脳卒中の発見を治療がどこまで進歩してきたか。また医師としての著者のこれまでの個人史も実に興味深いが、昨今の医療不信を払拭させてくれるような、熱い志に触れ得たことは大きな収穫であった。
 著者はあとがきでこう記している。
 「この本を綴った思いには、脳卒中・秋田県立脳血管研究センターを知っていただきたいということとともに、日本中の一人でも多くの方にこのセンターを利用していただきたいという願いもこもっています。来年から脳卒中再発防止のための精査の取り組みを始める予定です。脳卒中について何なりと、ご質問やご依頼があれば次のところにご連絡ください」
 こんな開かれた病院がわが郷里にあることを誇らしく思う。

家族をめぐって 2

田原敦子著
『転がる石はダイヤモンド』・評(第三文明社)
―「図書新聞」掲載

 あの田原総一朗の娘さんがテレビ朝日の「世界の車窓から」のプロデューサーであることを本書で初めて知った。田原総一郎のテレビのイメージからして……とちょっと構えて読み始めたのだが、肩の力の抜けたとても気持ちのいいエッセイ集だった。
 生き馬の目を抜くようなマスコミ界にあって、こんなふうに柔らかく自分をキープしながら、仕事や人間関係を深めてきた人はそんなにいないのではないかと思う。
 父、田原総一郎が好んで色紙に書いたと言う言葉、「しなやかに、したたかに」は、まさしく著者の生き方そのもののようにも思える。 
 何しろ、著者は「第一章父のこと」でのっけから、父の恋人について語りはじめるのだ。 
 私は未読だが、田原の『私たちの愛』は、ダブル不倫の末の恋の成就を描いた本として、かなりセンセーショナルな話題を呼んだ。著者に言わせると、「子供の頃から、何となく思っていた。『きっとパパには、ママの他にも好きな人がいる……』私の父は、本当に隠し事のできない人だ。自分の幼い娘からも、恋をしていることを見抜かれていたのだから」
 自分たちの恋愛が家族にはばれていないと思い込んでいたらしい父がほほえましい、愛すべき存在として描かれていく。この描写は少しも嫌味がない。寂しさに打ちのめされた日々もあったにちがいないが、「今の私には、母親が二人いる。一人は亡くなった私の産みの親で、もう一人が今の母だ。父が愛のメッセージを捧げた節子さんが、時は流れて、今や私の母となったのだ」とまで記すのだ。
 母親が亡くなって6年後、著者が結婚したあとで父と節子さんは再婚したのだから、何も母と呼ぶ必要もないように第三者には思われるのだが、あえて、「私の母となった」と記すところが、私には著者のしなやかなやさしさとしてうつる。そのやさしさは、無防備な少年のような父と、父をあくまでも尊敬してやまなかった母の関係性の中で育まれた、実に貴重な人柄ではないかと思われる。
 こんなことが少女期から二十代にかけてあったにもかかわらず、「年を重ねるごとに、父との間柄が密になっていくようである」と書ける親子関係がその証である。
 彼女の小学生のころは、父が映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』を撮影した時期でもあった。この映画は桃井かおりのデビュー作としても知られるが、映画の出演者たちがよく遊びにきていたそうだ。そんなこともあって彼女は「とてもませていた」。高校生の頃から十歳以上も年上の人と付き合っていたのは、そんな家庭環境のせいもあったにちがいないと書かれている。
 いろいろな恋愛のエピソードがつづられる中で笑ってしまうのは、付き合っている恋人と連絡が取れなくなって「これは家で死んでいるにちがいない」と思うくだりだ。それが夜中だったので、父を起こして一緒に見に行ってくれるように頼んだというのだ。すると、父はよしわかったと言って、懐中電灯片手に一緒に確認に行ってくれたのだそうだ。「私の妄想に付き合ってくれた父には、今でも感謝している」。
 連絡が取れない→死んでいるにちがいない。この連想は、しかし、恋愛の一途さを示していて切ない。著者はしなくても「いい恋もある」と言うが、やはりそんな恋の積み重ねが今日の彼女を作り上げたのにちがいない。
 マスコミ界に入った著者がやはりなみでないなと思わせられるのは、お茶くみ時代から、「現在」を「収穫の時期」へ至る「耕す時期」として強く認識していたことだろう。こんな番組をつくりたいという企画書を週に1回ノルマのごとく、秘書の仕事をしながら上司に出し続けていたという。そんな積み重ねがあるから、やりたいことをやるには「要領」と「世渡り」も必須のスキルとさらっと言ってのけられるのだ。「したたかも使いよう」と言える背後に、著者が少女期の日々から学び取った一途さを見る。だからこそ、人間関係の栄枯盛衰にはびくともしない。
「いつも自分にとっての『好き』とは何か、それを追い求めて生きてきた」「自立とは『幸せに暮らす』ということだと思う」という著者のしなやかさに共感する。やっぱり、したたかとは程遠い、しなやかでやさしい人なのだと思う。

〈本〉の彼方 2

近江哲史著
『図書館に行ってくるよ―シニア世代のライフワーク探し』・評(日外アソシエ―ツ)
―「図書新聞」掲載

 本書を読み進めるうちに、子ども時代の図書館の記憶が甦ってきた。小学5年生のときに図書委員になった。本を整理したり、貸し出しカードにはんこを押したりするのが楽しく、誇らしかった。ボロボロの本を針と糸で修理する方法を教えてもらって、ちょっと専門職の気分だった。大好きな本がぎっしり詰まった薄暗くてちょっとかび臭い書庫、明るい日差しの満ち溢れた閲覧室……図書室は学校の中でも一番好きな場所だった。
 中学、高校、大学といま思い返してみても、学校の図書室と町の図書館だけははっきりと思い出すことができる。司書になりたいと夢みたこともあったっけ。仕事を持つようになってからは休日しか図書館に行けなくなったが、住いが変わるたびにまずは地元の図書館の場所を確認して、やっとその町に落ち着けたような気がしたものだ。 
 コンピュータでさまざまな情報の検索できるようになって、仕事がらみの資料探しのためにわざわざ図書館まで足を運ばなくても済むことも多くなったが、休日の図書館通いの楽しみを手放すわけにはいかない。私の場合は、新聞や雑誌で目に留まった本を探しに出かけることが多い。しかし、当てもなく本棚の間を歩き回るのもまた楽しい。誰の目にも留まらないような片隅で、何とも魅力的な本に出会って、それがきっかけで、著作を全部読んだ作家や家に買い揃えた作家も何人もいる。本書のタイトル、『図書館に行ってくるよ』は、まさに私が日常的に使っている合言葉なのである。
 本書は、副題に「シニア世代のライフワーク探し」とあるとおり、時間のできた退職後のシニア世代に向けて書かれたものであるが、図書館をめぐるさまざまな提案は、現役世代にもぜひ読んでほしい魅力的な視点に満ちている。
 図書館はブラッと出かけてのんびり新聞を読んだり、気に入った本を見つけてゆったり読書したりするためのありがたい場所だが、ただ受動的に利用するだけではもったいない。一歩踏み込んで「テーマ探しとライフワーク実現のために」図書館を積極的に活用することを著者は提案する。他人のあとをたどる「学習」から、自分の生涯のテーマの「研究」へと歩を進めるために図書館を積極的に活用すべきだと。
 たとえば、「自分大学」の構想を立てる。「読書」を中心に据えながら目標を決めて、一年目、二年目と進む。読むだけでなくレポートを書く。最後に卒業論文をまとめる。そのために図書館はなくてはならない、頼もしい存在である。
 だからこそ、図書館の選書、レファレンス業務、イベント企画などのあり方や活動のしかたへの注文も厳しい。利用者も受け手にとどまらずに、ボランティアで図書館の仕事に関わるべきだと呼びかける。
 著者は「図書館のオーナーは住民であるはずだ」と述べる。そして、森まゆみ氏の「図書館の運営は本好きによる地域NPOで行うべきだ」という意見に賛同する。私は知らなかったが、欧米でも日本でも「図書館友の会」というボランティア組織がつくられているそうだ。日本ではまだ動きがにぶいが、「アメリカではほとんどどこでも図書館友の会が地域の図書館を支持して、積極的な活動を行っている」そうだ。「図書館を自分たちのものとしてしっかり認識して、自分たちの力でこれを良くしていこうというパワーがみなぎっている」。図書館そのものの活動も活発で、老人養護施設や在宅障害者へのサービス、郵送による貸し出しサービスなども行っているという。
 そんな基盤を土台に著者は「ミニ図書館を街角にたくさんつくろう」とも提案している。「商店街の一軒、団地の中の空いた部屋一つ、公園の片隅にも一つ、さしあたりポストと同じ数程度というのがムリなら、交番の数ほどでもと言っておこうか」「日常の運営管理をする人を、本好きなボランティアにお願いする。(略)その人の個性に委ねて図書館に個別的な性格をもたせる」「ミニ図書館の管理を行う人は、通称としてでも『ミニ図書館長さん』の名を与えたい。よい意味で私立図書館の雰囲気をもった自由な小さい図書館があちこちにできあがれば、どんなに町は楽しくなるだろう」
「図書館のオーナーは住民である」という著者の言葉を借りれば、美術館も博物館も公園も、そして町もまた「オーナーは自分」なのだ。地域で暮らすこと、住民であることへの意識変革をも促す好著である。

〈こども〉のなかへ 2

斎藤次郎・福尾野歩・増田喜昭 著
『子どものスイッチ―みんなもってるすてきなチャンネル』(雲母書房)
―「図書新聞」掲載

 「子ども時代」が自分の生にとってどんなに大きな意味をもっていたかということが、今ごろになってわかってくる。五十代って、そんな年代ではないだろうか。子育ての真っ只中の時期を過ぎ、仕事に突っ走っていた日々が一段落して気がつけば、道も半ばをとっくにすぎて、午後の陽が傾いている。
 そこで、ふっと立ち止まって振り返ってみるのだ。自分が育った家、親、兄弟、親戚、近所の人、町、飼っていた犬や猫、木々の匂い、川の音……ああ、それが私だったんだ。過去の一こま一こまが経糸、横糸となって織り成された一枚の布、それが自分であって、それ以上でもそれ以下でもないことが、いまならわかる。そのどれがちがっていても、私は私ではなかったと思うと、過去のかけがえのなさがしみじみと感じられる。
 そんなことを思ったのも本書を読んで、私の「子どものスイッチ」が入ったからだろう。「子どものスイッチというのは、自分の中の子どもをよびさます魔法の仕掛けのことだ」と著者の一人、斎藤次郎さんはいう。だから何がおこるというわけでもないのに、ふと立ち止まったら、あたりの景色がとても懐かしく見えてくる。忘れていた子ども時代のちょっとした思い出がどんどん甦ってきて、なんだかうれしくなってくる。
 本書に登場する三人のおじさんは、そんな自らの「子ども時代」のかけがえのなさをエネルギーにして、現代の子どもたちが少しでもすてきな子どもの時間を生きられるようにと行動してきた、いまもバリバリ現役の少年である。
●斎藤次郎…子ども研究の第一人者で子ども応援マガジン「子どもプラス」の編集代表。
●福尾野歩…トラや帽子店というバンドを率いて各地を回り「人と人をつなぐ旅芸人」として保育者のセミナーをつづけてきた人。
●増田喜昭……子どもの本専門店「メリーゴーラウンド」を起点に子どもが本と出会う場づくりや子どもの遊び場づくりをしてきた人。   
 三人の多彩な活動については、本書(二泊三日の三人の合宿でのやりとりで構成されている)をじっくり読んでいただくとして、三人とも兄弟が多くて、末っ子で、つらい記憶や切ない思い出も含めて、子ども時代にたっぷりと愛情を注がれたことが、彼らの現在の行動力の源を形づくっているといっていいだろう。
 子ども時代に、大人になって一人で生きていけるだけの心の垣根をしっかりと築けるかどうかは、いたって単純で、「愛情をたっぷり注がれる」――この一点だけにかかっているといってもいいのだろうと私は思う。
 それさえあれば、子どもは安心して飛びまわれるし、怒られて少々いじけてもきっと立ち直れるし、やがては颯爽として巣立っていける。逆にその手ごたえを、子ども時代にしっかりと持っていないと、大人になってからつらい。現代という子ども受難時代に意志的に子どもと接することはさらにむずかしい。
 でも、おじさんたちは、その手ごたえは誰にでもあるのだよと言っているように思われる。自分の中に埋もれている「子ども時代」を掘り起しさえすれば、いま目の前にいる子どもと必ずや深く熱く渉りあえると。
 次郎さんは管理教育の強化されている現状を「学校教育はどうしようもないという世論をバックに、新しい道徳再武装が始まり、それはナショナリズムと結びついてきた。そしていま、『こころのノート』による心の管理が本格化し、教育基本法の改定(僕から見れば改悪)が日程に上っている。本当にあやういところにきているのをひしひしと感じています」と述べるいっぽうで、老人と童の「老童運動」をすすめようとしているらしい。「僕はぜひ子どもと年寄りの新しいジョイントをつくりたいと思っているの」「(略)老人の問題を視野に入れることが、子どもの問題を見直すきっかけになるんじゃないか、また、この両者がつながることで、『働きざかり派』の効率優先主義に歯止めをかけることができるんじゃないかと、そんなふうに考えているわけ」
 吉本隆明さんが「大学教授は定年になったら小学校の先生になるのがいい」、「老人ホームは幼稚園の隣につくるのがいい」と書いていたけれど、それに通ずるものがある。そんなジョイントができたら、年を取ることはすごくたのしみになってくる。
 学校教育の現場が、こうした在野の人々との交流によって変わっていくこともきっとあるだろうと期待したい。 
 「子どもとともに暮らすことの意味を深く掘り下げ、そうして得られる幸せをひとりでも多くの人たちと共有したい」そんな著者たちの思いは、私たちの共通する思いであることに変わりはない。


病理という世界へ 3

伊藤進著
『心理学って、役に立つんですか?』・評(川島書店)
―「図書新聞」掲載
 
 心理学といっても、フロイトの夢判断やエディプスコンプレックス、ユングの集合的無意識といった言葉が断片的に浮かんでくるばかりである。それに、フロイトやユングは心理学者というよりも宗教的な領域に近い思想家ではないかという気がする。 
 自分とは何か、心とは何か、心と脳はどういう関係にあるのか……誰しも肉体の健康と同じくらい、あるいはそれ以上に心に対する関心は強いはずだ。頻発する少年犯罪を見るにつけ、少年少女たちの心の危うさを思い、中高年のうつ病や自殺の報に接するたびに、私たちの心があまりに壊れやすいことに慄然とする。いったん壊れてしまったら、自分は存在しないに等しい。
 しかし、壊れやすい心にふさわしい処方箋があるのだろうかと考えると、心をたとえば医学における内臓のように取り出して研究したり分析することが可能なのかという疑問がぬぐえない。心はもっと個別的なもの、したがって文学的、思想的、宗教的なものじゃないのか。
 本書のタイトル、「心理学って役にたつんですか?」は、まさに私たちのこんな深層心理をついているといえるだろう。
 本書を読み始める前にあとがきをちょっとのぞいてみたらこんなことが書いてあった。「神経医学者オリバー・サックスの著作と出会い、人間についての研究を物語性をもたせて表現することの重要性と面白さに魅了される。サックス自身は、神経心理学者ルリアの『ロマンティックな科学』という概念に影響を受けたということである。科学と芸術の融合である。「現実の文脈」と「物語性」――心理学をこの2つをそなえたとらえ方で考えてみる、書いてみる。そして、できるだけ多くの人たちと心理学を分け合う」
 研究成果に物語性を持たせて表現するってどういうことなのだろう。
「科学と芸術の融合」?
 本書を読み始めてたちまち納得した。なるほど、こういう表現方法があったのだ。
 本書は、大学で心理学を教える「大倉山シンノスケ」を主人公に、心理学が日常生活においてどのように役にたつかを、シンノスケの日常生活をつづる形で実にわかりやすく教えてくれる。心理学の入門書ならぬ「出門の書」であると著者がいうとおりである。
 シンノスケは仕事を離れればごくふつうの社会人という設定だから、シンノスケの襲われるストレスやシンノスケが挑戦する禁煙も私たちに身近なものだ。シンノスケの対ストレス作戦は「忙の字追放作戦」と「涙作戦」という2つの心理作戦をとって実行に移される。禁煙にあたってはフェステンガーという心理学者の「認知的不協和の理論」を活用する。シンノスケの日々の物語を読んでいるうちに、心理学って意外に役に立つかもと感じられてくるから不思議である。
 心とは何か。
 シンノスケは、脳は「コミュニケーション器官」であり、外界、体の各部、脳内の3つのコミュニケーションをお互いに関係づけながら行っているとして「心は、脳がコミュニケーションの仕事をするときに生み出される現象なのである」と語る。心が〈関係の現象〉であるという説明はなかなか説得力がある。。
 シンノスケは人生一流であるばかりが能じゃない、「二流であるのも悪くない」という持論の持ち主だ。個人的には人生に一流も二流もないよ、といいたいところだが、こうした気の持ちようも人生のある局面では必要かもしれないなあと思わせる。シンノスケは妙に魅力的な人物なのである。
 シンノスケはなりたくて心理学者になったわけではない。行きがかり上心理学者になっただけらしい。職業ってそんなものだよなあ、と思うと、シンノスケの、いや著者の専門である認知心理学がとても信頼に値するものであるように思えてきた。
 現代の心理学は「脳における情報処理活動に注目して研究するアプローチが主流」だそうだが、学問を「物語」として表現する……このやり方、新しい表現ジャンルとしてもっともっと多くの研究者たちにチャレンジしてもらいたいと思う。しかし、その前提として、シンノスケのような魅力的な人間がそこに描かれていなくてはならないとなると、一見やさしいようでいて誰にでもできるという手法ではないことがよくわかってくる。学問と表現の新しい可能性を見たと思った。

病理という世界へ 2

大沼孝次著
『ブラックジャックの名のもとに―日本医療の問題を探る』・評(長崎出版)
―「図書新聞」掲載

 マンガ『ブラックジャックによろしく』が400万部という驚異的な発行部数を記録したのは、医療ミスが頻発して病院や医師への不信が高まり、多くの人が現代医療に関心を持つようになった端的な現れだろう。
 単行本が2冊ほど出たとき「赤ひげやブラックジャックのようなヒーローを描くのでなく、どこまでもアンチ・ヒーローに徹することで、日本医療の暗部をえぐりだせ」と激励する書評を目にしたことがあって、印象に残っている。
 マンガは医療現場の救いのない現状を研修医、斎藤英二郎を通じて「救いのなさ」そのものとして徹底的に描いていく。佐藤秀峰はマンガならではの大胆な描写力で医療現場の悲惨さを、つまりは私たちがさらされている恐ろしい現実をストレートにつきつけるとともに、患者に向かい合う医師たちの様々な有り様を見事なまでに浮き彫りにした。
 病院が権力闘争や金儲け主義の跋扈する場所となってしまったり、人間の普通の生活感情からかけ離れてしまった経緯は、裁判所や学校や警察、あるいは政治といった「志」や「人間」への深い関心がその根幹にあるべきはずの仕事の凋落ぶりにもそのまま当てはまる。そこでは滑稽なほどに見事なヒエラルキーが支配していることでも共通している。
 話は医療現場がテーマだけれど、こうしたもろもろの現実へのやりきれなさ、その証左の400万部でもあると思う。それだけ、この作品が医療問題を超えて「時代」の抱え込む弱点を突いていたともいえるし、医療現場が時代の「病」そのものをもっとも端的に表す場所となってしまった皮肉な現状をあらわしているともいえるだろう。 
 そして、マンガ『ブラックジャックによろしく』の衝撃は、私たちをこんな思いにかりたてた。「ここに描かれている医療現場の実態は、果たしてどれくらい真実なのだろうか」……。
 誰もが抱いたその思いに答える一つの形が本書である。
 第1章「告発された現代の日本医学界の構造」では、研修医制度の実態、深夜の救急医療、医局の構造、医療 財政、医師の腕前と手術数の関係、小児科医の不足の問題、看護士の夜勤などがマンガのストーリーに添う形でていねいに解説され、検証されていく。
 第2章「現代の最新医療技術に対する検証」は、マンガに登場した病気に対する最新医療技術についてのレポートである。肝硬変、高血圧、高脂血症、腎不全、あるいは妊娠、出産に伴う病気や不妊治療、異常出産等に対する最新の治療法の紹介とその安全性や危険性が詳述されている。
 そして、結局は「医師とは何か」という「人間」の問題が問われることになる。第3章「登場人物の性格分析」に多くの頁が割かれているのはそのためだろう。著者の言葉を借りれば、医師たち「一人一人の胸の内に、今の社会の病巣が秘められている」のだ。
 ヒーローはいらないが、私の病としっかり向き合ってくれる医者にはいてほしい。この誰にも等しい願いは、どうしたらかなえられるのだろう。本書の著者は「自由診療と保険診療の両立化による経済の自由競争のなかで、病院もそれぞれ独自の競争を展開し、生き残りを図る必要がある」と考えている。病院が「経済の自由競争」にさらされることは、たしかにそんな医師と患者の出会いを作り得る条件のひとつかもしれない。けれども、患者の側にしてみれば、金がなければ治してもらえない現実が、それで変わるとも思えない。
 最終章で著者は「私たちは彼らのスペシャリストとしての高度な技術に頼り、また、そこに人としての誠実さを求めます。そして、それだけが私たちが医師に求められる限界であると思うのです」と述べている。まさにその「人としての誠実さ」こそが、研修医、斉藤英二郎の苦悩なのだと思うと、ますますやりきれない思いに襲われる。生き物を工業製品として扱い、ついには「牝馬に自分のクローンを生ませる」ところまで行き着いた人間に、どんな医療の道が残されているのだろうか。


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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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