2007-10

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物語のなかへ 9

大谷典子著
『自転車紀行』・評(編集工房ノア)
―「図書新聞」掲載

 詩集の冒頭には「ラドン」についての詩が三編ならんでいる。  
  
  約束したので
  ラドンと
  それで今日またすすみます
  前へ行きます
       (「ラドンと」)
 
 これだけでもこの詩人の暮しのたたずまいや柔らかい感受性が伝わってくるような気がする。さらにつづくフレーズで「このごろ/とても前へ行きます」と「前へ行きます」を畳みかける。この繰り返しが痛々しいまでのひたむきさとして響いてくるのは、「約束したので」という一行のせいだろう。立ちはだかる正体の見えないものを懸命にかき分けてすすむその様子に、祈念のようなものが感じられる。
 「前へ行きます」という言い方は、ストレートで虚飾がない。いわゆる上昇志向的な価値観の対極にある、とても切実な生き方のベクトルを示している。
 読みすすむにつれて、ラドンはこの世にいないことがわかってくる。「ラドンと一緒/去年も今も」(「そら」)と記されるラドンは、おそらく詩人の愛犬だろう。いつまでも一緒にいられると思ったラドンとの別れをつづる三編の詩は、私たちの生は、大切な存在と一緒にどこまでも行くのだという思いによって成り立っていることを伝えている。「ずっと一緒」という約束は、自分が生きているかぎり続く、私たちの生そのもの。
 しかし、すすめばすすむほど、たった一つの約束が、いろいろなものをズンズン磁石のように引きつけて、気がつけば箪笥の引出しがもう閉められないほど満杯なのだ。そこで詩人は熱望する。そんな私をやすやすと運んでいく「サドルがほしい」(「自転車紀行」)と。 
 疾走するといっても、めちゃくちゃなスピードではない。なにしろ自転車だから、体に空気や色や音や匂いがぶつかってくる感覚がある。その手触りや空気感がどの詩にも満々と湛えられている。
 一つの関係が築かれて壊れていく歳月をべりべり音を立てながら自転車は駆け抜ける。通り抜けた耳のうしろで「あなたが裂かれる音/わたしが遠ざかっていく音/あなたがちぎられる音」(「べりべりいう壁」)がこだまする。
 ぐずぐずしたってしかたない。しかし、ズンズン迷わずに行けるものでもない。「前へ行きます」は、そんな詩人の独特の生のスピード感覚を的確に言い止めている。
 出会いもあったし、別れもあった。つくったり壊したり。捨てられないガラクタばかりが増えて……誰もが過ごしてきた歳月をこんなふうに歌えるのだなと思いながら、さらに頁を繰ると、こんな切ない詩があった。
「その日わたしは鳴子百合の葉を植えた/あなたの庭に侵入して/天気は良くて/何もかも巻き込むような空でした」(「不愉快とわがまま」)
 たしかにそんな出会いがあったなあとはるかな気持ちになる。
「差した葉は芽が出るか根が出るか」「鳴子百合。/芽か根かどっちでしょう」
 答えは、死ぬまでわからないだろう。
 詩人は華道の人である。「華道の人」という詩も面白い。「秘密はあとからあとから出てきます」「部屋にある観葉植物は危ない」「芽が出ると隠し事も出てくる」「アア、空が高くなる/夕方のにおいは開けっ広げで恐ろしい/高くなるほど赤裸々になる」
 それでも「前へ行きます」と、この際私もつぶやいてみたくなる。
 杉山平一氏の跋文に「痛々しいまでに世間と戦い自分をさぐる姿勢に心うたれる」と記されている。たしかに詩人の「自分をさぐる姿勢」は、私の現在をゆさぶる。
「下りエスカレーターを上るいきおいで/参ります/嘘・誇大表現・正当化・不現実化・引き延ばしはありません/待ってなくて良い    
 どんどん進んでくださいよ/倍々々速でとばします/落とし物なしで/あなたのもとへ」(「河を越える時」)
 待っていなくてもいいというところがいかにもこの詩人らしくて好きだ。こころから溢れそうになったこころを持ち運び、ときどきあたりに滴らせ、飛び散らせながら、前へ前へ。詩人の頬に当る風を私もまた感じる。
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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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