2008-02

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物語のなかへ 11

ダニエル・N・リーソン著 楠瀬佳子・江口英子訳
『モーツァルト・レクイエムの悲劇』・評(第三書館)
―「図書新聞」掲載

 クラシック通ならモーツァルトの最期の未完作品、『レクイエム』をめぐってさまざまな物語が存在することを知っているだろう。そんなクラシック通はもとより、私のようにときどきクラシックを聞く程度の門外漢をも引きずりこんでしまう一冊である。
 著者はアメリカのモーツァルト協会の創立者の一人でクラリネット奏者としても活躍しているが、実は長くIBMに勤務していたコンピュータの専門家で、大学で数学を教えたこともあり、「モーツァルトと数学」という演題で講演もしているというユニークな人物だ。
 「私はこの作品の複雑な歴史を解明するという、これまで一度も成し遂げたことのない課題に取り組んだ。想定している読者層は幅広く、この問題についてほとんど知らないが、もっと知りたいと思っている人たちだ」
 「語りの手法をとっている理由は、専門家向けの学術論文のようなものではなく(略)、この話の内容を悲劇的だが、魅惑的な物語としてあるがままに、読んでいただきたいという願いから生れたものである」
 途中、数学畑の人らしい、理詰めの細かい記述も出てくるが、それも謎解きの一興、物語の舞台である十八世紀末のウィーンに降り立って、著者といっしょに謎解きをすすめる探偵のような気分になってくる。
 教会でミサにあずかったこともなく、本来のレクイエムの構成もまったく知らない私にとって、レクイエムはクラシックの名曲のひとつである。一気に天上に引っ張りあげられていくような出だしがとくに好きだし、モーツアルト的であると思って聞いてきた。原型はモーツアルトの手で出来ていて、あとは弟子あるいは親しい作曲家がその意志を可能な限り貫く形で完成したもの、したがって、まぎれもないモーツアルトの作品なのだと単純に思い込んできたのだ。 
 しかし、作品の成立には思いのほか混み入った事情があり、その「未完」をめぐる考察は二百年以上たった今日でもまだ十分に論議しつくされたとは言えないらしい。
 そこで、著者は、「この伝説的な作品にまつわる物語を検証するには、意見の相違点がほとんどない数少ない重要な詳細を再検討するところからはじめるのが一番いいだろう」として、モーツアルトの死の床に立ち戻り、じっくりと謎解きを開始する。 
 モーツアルトの枕辺にはレクイエムの手稿が八十枚ほど残されていた。それらは、モーツアルトの創作意図に沿って、モーツアルトの作品といってもいいほどの状態に仕上げるには材料としてとても不十分だった。しかし、そのことを十分に理解することなく、妻、コンスタンツェは完成を第三者に依頼した。モーツアルトにレクイエムを依頼したヴァルセック伯爵にそれを納めて代金を得たかったからである。コンスタンツェにはレクイエムを完成させるのはそんなに難しいことではないと思われたのだ。
 そんな彼女の見込み違いが、レクイエムを残すことになった一方で、レクイエムはいったい誰の作品なのかという謎を引きずって行くことにもなった。
 残された手稿とはどんなもので、そこにどんな他者の手が、どの段階でどんな意図で入っていったのか。現在演奏されているレクイエムはいったいどういうものなのか。過去のさまざまなアプローチを尻目に、著者独自の丹念な掘り起こしがなされていく。 
 未完のレクイエムの欠陥を3つの段階にわけて解きほぐしていく著者の手際は、ときにいささか執拗なほどだが、その熱意にほだされて思わず手持ちのCDを持ち出して聞き直さずにはいられなくなる。
レクイエムの完成者は弟子のジェスマイヤーだったと言われているが、後世に、その完成をよしとしないさまざまなジェスマイヤーが現れ、レクイエムを完成させようと試みてきたのだそうだ。最近では1991年にイギリスのダンカン・ドゥルースという人が完成版をつくったそうだ。レクイエムは、次々に新しい命を吹き込まれては再生して、その謎をさらに深めていく迷宮のようではないか。
 本書の最後にはレクイエムがその後どのように西欧社会において演奏され享受されてきたかが記されている。ナポレオンの遺体がセントヘレナ島から移されたアンヴァリッドのサンルイ教会で、ケネディ大統領が暗殺されたときボストンの聖十字大聖堂で、二〇〇一年九月十一日の悲劇を記念して、翌年の九月十一日にはローリングレクイエムとして、世界の二十カ所でレクイエムの演奏が行われるというように、レクイエムは西欧社会が共有するもっともかけがえのない鎮魂ミサ曲なのだ。著者をはじめとする人々の飽くなき探索は、西欧社会が今日まで脈々と伝えてきた、こうした宗教的基層を抜きには考えられないのだろう。 
 読み終えてふたたびレクイエムを聞く。たちまち壮大な教会の伽藍が頭蓋の中に出現する。もしかしたら、私は、十八世紀のウィーンでモーツァルトとすれちがった誰かの魂の生まれ変わりなのかもしれない。ふとそんな錯覚に陥りそうになった。
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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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