2009-03

物語のなかへ13

ヒュー・ウォルポール著 長尾輝彦訳『ジェレミー少年と 愛犬ハムレット』(れんが書房新社)
―「図書新聞」掲載

 本書はイギリスの作家、ヒュー・ウォルポールが一九一一年に発表した児童向け小説『ジェレミー』三部作の第二作目にあたる。作者はわが国では、代表作の『へリーズ年代記』や『銀の仮面』などで熱烈なファンを持つが、本書は本邦初訳である。
 訳者はあとがきで、「イギリスの片田舎の骨董屋で思いがけなく発見した骨董品のような趣がある」と記しているが、主人公のジェレミー少年へ寄せる作者の温かいまなざしが作品をいぶし銀のような味わいに富んだものにしている。読後、私もすっかりジェレミー少年のファンになってしまったのだった。
 ときは一八九四年。十歳のジェレミーが寄宿学校に入学して二年目の冬休みに、ポルチェスターに帰省したところから物語が始まる。舞台は実在の町ではないが、おそらく作者のヒュー・ウォルポールが寄宿学校生活を送ったイギリス北東部の町、ダーラムではないかと訳者の長尾氏は推測している。訳者あとがきに添えられたダーラムの大聖堂と城、その下を滔々と流れるウィア川の写真に誘われるように物語の世界に分け入っていった。
 少年と同世代の読者なら、たちまちジェレミーと一緒になってポルチェスターの市場をうろつき、大聖堂の夜中の肝試しにドキドキし、愛犬ハムレットのひょうきんぶりに笑い、寄宿学校でのクリケットやラグビーの様子に胸を高鳴らせるだろう。
 そして大人はこの物語の中で、もっとも繊細に世界に向き合っていた頃の自分に出会うだろう。世界が自分に重くのしかかってくるようでとても生きにくかったこと。大人との軋轢の中で異常なまでに神経を尖らせていたことを、まざまざと思い返すにちがいない。
 同時に物語の背後にイギリスの片田舎にも及んできたキリスト教信仰の揺らぎや階級社会を少しずつ侵食して行く時代の荒波をひしひしと感じる。パリ帰りの絵書きのおじや植民地を渡り歩いた実業家のおじが牧師の父との対比で描かれ、そんな大人を見つめながら少年は自立を促されていく。
 ジェレミーは牧師である父の潔癖なまでの正義感から、泥棒の濡れ衣を着せられて深く傷つく。自分の善意がこともあろうに正義の権化ともいうべき父によって真っ向から否定されてしまう……冒頭に置かれたこのエピソードが物語の通奏低音となって少年の造型を陰影に富んだものにしている。
 少年がもっとも敬愛するのは絵描きのおじであり、深く友情を感じるのは避暑地カーリヨンで出会ったならず者一家(低階層)の少年である。大の本好きで古道具屋で『ロビンソン・クルーソー』をみつけて狂喜するいっぽうで、体は小さいのにラグビーの選手に選ばれるスポーツマンでもある。実業家のおじさんが家族の前で牧師である父の欺瞞性を痛罵すると、反論もできない父にそっと救いの手を差し伸べる。強い自己主張をするわけでもないのに、しっかりとその存在感を周囲に植えつけていく。
 作者は一八八四年にニュージーランドで牧師の子として生まれ、五歳のときにイギリスに移り住んだ。一九〇六年にケンブリッジ大を卒業して聖職についたが、一九〇九年に作家に転じ、第一次世界大戦を挟んで三十年間にわたって作品を発表した。物語にはこうした作者のプロフィールが色濃く投影されていると思われる。
 ジェレミーはパリから戻った絵描きのおじさんに画室で父とのいざこざを打ち明ける。するととおじさんは「死ぬまでには百万回も誤解されるだろう。だからほんとうにすきな仕事と、信頼できる友と、それに丈夫な胃袋があれば、それだけでもう感謝しなくてはいけないのだ」。そして、「この画室にはいつでも入ってきていいからね」と言ってくれる。
 「ジェレミーの人生はあの半時間の出来事から始まったと言ってもよいほどです。ジェレミーは、鏡の国のアリスのように、川をこえ、わがものとなるべき領土へと足をふみいれたのでした」
 十歳の私にも新しい領土をもたらしてくれたおばたちがいた。さまざまな本があった。新しい領土への入り口をこじあけてくれる存在を持っていたことは無上の幸せであったと今つくづく思う。
 本書はきっと読者のそんな一冊になるにちがいない。
 「イギリス文学には、『こどもは大人の父親である』という有名な詩句を残したウィリアム・ワーズワースに始まり、チャールズ・ディケンズやジョージ・エリオットらによって成熟した伝統――『子どもの心』を好んで題材にするという伝統がある。ウォルポールが書いた『ジェレミー』三部作は、その伝統を受け継いだものであり、間違いなく後世に残る文学遺産と言える。翻訳を手がけた理由もそこにある」(訳者あとがき)
 たしかにジェレミーは私たちの父親であるとも言える。これが読後の率直な感想である。
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Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
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書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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