2010-05

病理という世界へ 8

秋山正子著『在宅ケアの不思議な力』(医学書院)
―「図書新聞」掲載

 いまでこそ、終末医療や在宅ケアはさまざまなメディアで取り上げられるようになったが、著者が訪問看護師の仕事に取り組み始めた20年前は、末期がんの患者が家で最期の日々を過ごすという「在宅ターミナルケア」は非常に稀なケースだった。姉の肝臓がんによる死を在宅で義兄とともに看取った経験を自らの個人的なケースにとどめることなく、それを糧にして今日まで、家で人生の最期の日々を過ごし幕を下ろす人々のために何ができるかを考え続けてきた著者の取り組みには頭が下がる。
 もっとも特筆すべきは、訪問看護を医療と福祉をつなぐ要に位置する役割ととらえて、ネットワーク作りに尽力してきたことである。
姉の最期を看取った出発点からそれは始まる。本書の冒頭近くに20年前につくった「在宅ケアチーム」の図が紹介され、次の文章が添えられている。
 「当時は、訪問看護ステーション、訪問介護事業所、在宅医療支援診療所をはじめとした各種のサービスが制度化されていませんでした。それでもこの図から、『在宅ケアは利用者・家族を中心にチームケアで行なっていくのだ』という在宅ケアの基本が伝わってきます。多くの方々のサポートを得て実現した在宅ケアチームでした。」  
 その後01年に市谷に白十字訪問看護ステーションを開設、10数名の若いスタッフと手分けてして訪問看護に当っているが、始まりからチームケアを訪問看護の核にすえた著者だったからこそ、「命に寄り添うケアを生活の場にお届けします」というモットーが生まれてくる。「在宅ケアにかかわる仕事のなかで、誰もが一度しか生きることができないいのちに出会う幸せ、いのちの終りに居合わせる幸せをかみしめています」と、若い世代に訪問看護の仕事のすばらしさを訴えつづけることができるのだ。
 訪問看護師が必要とされる家は、基本的には死に瀕した患者が横たわって最期の日々を生きている場所であるだろうが、今日のような高齢化社会にあっては、高齢者の家庭も当然その視野に入ってくる。そして、ガン末期の人も、認知症の人も、老いた人々も日々をひたすら「生きている」ことになんら変わりはない。著者がめざす在宅ケアは、「誰もが一度しか生きることができないいのち」を生きている、そのいのちに寄り添いたいという一心に貫かれている。
 本書では高齢化社会における訪問看護師の役割を強く訴えている。たしかに高齢者はさまざまな病に直面することが多くなってくる。老老介護である場合も多いから、在宅ケアに訪問看護師が加わることで、老後の暮しの安心はぐんと違ってくる。何かあったら救急車や遠くの大学病院ではなくて、近くの医師や訪問看護師さんにすぐ連絡……そんなネットワークが、どこの町にもあったらどんなにいいことだろう。
 日々に訪問看護をするかたわら、「地域の人たちにもっと在宅療養や在宅ケアのことを知ってほしい」と「安心して暮らし続ける町をめざしてー地域医療連携を進めるために」というシンポジウムを開く。07年に東久留米市で開かれたのを皮切りに、このシンポジウムは医師や患者や福祉に関わる人たちを巻き込んで各地に飛び火し、各地でネットワークづくりが続けられている。各地で著者に共感する医師たちが立ち上がり、若い人たちが著者の生き方に触発されて訪問看護の道に入っていると聞く。著者の取り組みは三月十六日にNHK総合「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも取り上げられた。家で最期まで自分らしい生活を送りたい……こうした願いは、個人の思いだけでは実現できない。著者たちのネットワークづくりに注目しつつ、私たちも自分自身の問題として考えていかなくてはならないだろう。
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Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
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書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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