2013-09

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〈本〉の彼方 6

現代英語文学研究会 編『〈記憶〉で読む英語文学――文化的記憶・トラウマ的記憶』
(開文社出版)
―「図書新聞」

 本書の副題は「文化的記憶・トラウマ的記憶」であるが、記憶は個々人の脳裏に刻まれたプライベートな領域のものであるばかり思っていた。「文化的記憶」とはどういうものなのだろうか。「はじめに」において、それは「ある集団がそれを介して自らの過去を選択的に構成して集合的アイデンティティを確立するための、組織化され、諸々のメディアによって客体化された共通の知識の蓄えというコンセプトである」と説明されている。
私たちは歴史認識や歴史記述が客観的な一枚岩で成り立っているものでないことを知っている。意図的な歪曲や改ざんの危機にさらされながらも人々に受け継がれていく共通の知識の蓄え、文化的記憶こそがいわゆる歴史にとって替わられるべきものなのかもしれない。
 本書は、文学作品の中から「文化的記憶」と「トラウマ的記憶」を取り出すことによって、個人的な記憶と集団的な記憶の相互作用を検証しようという試みである。
 これまでの小説の鑑賞や評論とはかなり異なる切り口の七つの論考が並んでいる。
 アメリカ文学における文化的記憶として取り上げられるのは、第一章メルヴィル『ビリー・バッド』の「後日談」、第二章フォークナーの『征服されざる人々』、イギリス文学から第三章『ハムレット』、第四章『フランケンシュタイン』、つづく第五章から第七章までは、アメリカ文学における心理的・トラウマ的記憶として、マーク・トウェインの未完作品「インディアンの中のハック・フィンとトム・ソーヤー」、フィッツジェラルドの『夜はやさし』、トニ・モリスンの『ビラヴィド』が俎上に載せられている。
 十七世紀に書かれた『ハムレット』において、奥田優子が文化的記憶として注目するのは「亡霊」である。当時の「エリザベス朝社会に刻み込まれた宗教的記憶」を、近年研究者の間で試みられてきた「旧教と新教の宗教対立」という観点よりも時代をさらに遡り、五世紀半ばに没したアウグスティヌスの教説をもとに「よみがえる死者の記憶」として読み解いていく。
 亡霊は日本的に言えば成仏できずにさまよっている死者の姿である。生者が死を恐れ、死者を畏怖して祀る行為は素朴な信仰に共通する根源的な有り様だろう。王の亡霊は古層の信仰の投影としてシェークスピアに呼び出されたとも言える。原罪という意識に逃れがたく縛りつけられた強固な一神教のヨーロッパ世界にあっては、「人は神の記憶を生きながら、同時にその記憶の一部を刻印のように心に宿した存在であると言いうる」と著者は述べる。たしかに亡霊も死者もそして生者もまた「無辺の神の記憶」の域を出ないということになるのかもしれないが、では神とは何か。死者の記憶の背後に広がる古い時代の土俗的な世界への通路を改めて垣間見せられた気がした。
 集団としての「トラウマ的記憶」から山下昇がアプローチを試みているのは、トニ・モリスンの『ビラヴィド』である。人間社会に深い傷跡を残す奴隷制度について、『ビラヴド』の文庫版あとがきで訳者の吉田廸子氏は、トニ・モリソンには「痛みに充ちた過去から目を逸らし、それを忘却に附そうとする今日のアメリカの風潮、モリスンの表現を使えば『全国規模の記憶喪失』への危惧がある」と述べている。
 『ビラヴィド』は、奴隷制度下に子どもを送り出すよりはと自分の産んだ赤ん坊を殺すという苦渋の選択をした奴隷のセサと彼女を取り巻く人々、そしてビラヴィド(本稿では上記のように表記)の織りなす物語である。ビラヴィドの正体について著者は5つの解釈を紹介しているが、その一つがビラヴィドを黒人の歴史の集合体とみなすものである。「ビラヴィドの語りには個人を超えた経験が組み込まれており、中間航路を行く奴隷船での奴隷たちの経験が(略)象徴的に描かれている」という解釈は、トラウマ的記憶を作家がその内奥でいかに引き受け、作品化していくかの端緒を語っている。
 著者はトニ・モリスンの語りの技法についても言及し、アフリカ的語りについて触れている。「アフリカ的宗教においては生者と死者の境界はあいまいであり、生者の生活の中に死者が生きている(侵入してくる)。またアフリカ的コミュニケーションは基本的に音声によるものであり、呼びかけと応答(略)である」「この小説の基本形はアフリカ的な呼びかけと応答の連続であり、一連の過程を経過していく中で感情的な浄化が達成される」「トラウマ的記憶を語りによって解放し、再生を遂げていくことが可能であることも本小説は豊かに描き出している」と結論づける。
 人は誰もが記憶を湛えた器として記憶の海を渡っていく……集合的アイデンティティはそんな無数の航路が時代や場所を超えて形づくる澪のようなものなのかもしれない。
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梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
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書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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