2016-08

旅・紀行から 2

土井清美 著『途上と目的地――スペイン・サンティアゴ徒歩巡礼路旅の民族誌』(春風社刊)
―『図書新聞』掲載

 「巡礼」という言葉には単なる旅とは異なる、深い響きを感じる。大切な存在を訪ねてひたすら山野をさすらう。もちろん、徒歩である。足裏で大地を感じることは巡礼には欠かせない。道中の苦難こそが大切な存在をより純化するからだ。さすらうこと自体に意味があるのだ。無宗教でありながら、私が小川国夫の『ヨーロッパ古寺巡礼』(一九七六年刊)や高橋たか子の『巡礼地に立つ』(二〇〇四年刊)などを愛読していたのも、そんな思いを重ねていたからだろう。巡礼は人の心の古層に宿る願望のようなものなのかもしれない。
 本書はエルサレム、ローマと並ぶ世界三大聖地の一つ、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指してカミーノと呼ばれるパリを起点に五百キロの道を徒歩で歩きつづける巡礼者たちに焦点をあてた「旅の民族誌」である。聖地巡礼をフィールドワークのテーマにする場合、聖性やキリスト教とはなにかといった宗教の問題は避けて通れないのではないかと思ったのだが、著者は「超越的なものを最初から前提とすることを避けたい」とし、巡礼を「旅と宗教的実践の両方を含む意味において用いることにする」と断っている。私はそのことに逆に興味をおぼえた。宗教的動機は聖地巡礼を試みる人々にとって程度の差こそあれ、現在でも決して無視することのできない要素だと思う。しかし、それを研究の前面に出しすぎることで零れ落ちてしまうこともまたあるのに違いない。さらに言えば、宗教とは縁遠い人間でも漂泊への思いにかられることは多々ある。私たちのそんな思いを凝縮した形で実践してくれている人々が今日の巡礼者であると言えるのかもしれない。
 著者はグッツォーニの「住まいつつさすらうこと」という視点を手がかりに、サンティアゴ徒歩巡礼を「途上」という様態として捉えようと試みる。
 「徒歩の旅とは(……)移り変っていく周囲の景色が自分の活動にどのような意味や価値をもつのかよくわからぬまま手探りしながら進むのに似ている。(……)そこで経験される、あたりにある事物の間を縫って行く動きの限定性と未知の世界に開かれている開放性が共存する感覚は(……)野原や坂道などで地平線を目にする際に誰もが経験的に知るところである」と述べる著者は、「土地との直接的で具体的な結びつき」を肉体的な限界を通じて味わうとする人々を対象に、彼らと「展望を共有する」ことを通じて、巡礼の諸相に分け入っていく。「調査対象となる人々の活動リズムをとそれにともなう風景の立ち現われ方を共有する」ために、〇七年~一二年にかけて、巡礼者とともにのべ何百キロも巡礼路を歩き、巡礼者用宿泊施設アルベルゲでボランティアでお世話係も務める。本書はそのフィールドワークの結晶である。
 第1章サンチャゴ巡礼の概要につづいて、第2章から巡礼者たちへのフィールドワークが展開していく。要所要所に巡礼者たちから寄せられた日記が事例として差し入れられているので、旅日記を読むような愉しみもある。
 宗教性をことさら前面に出すことなく展開されている論考ではあるが、読み終えたいま、目的地をいただいて歩きつづける営為、「途上」こそが実はひとつの信仰のありようなのではないかと私には思われる。サンティアゴの大聖堂が多くの巡礼者にとってアンチクライマックスとして現れるのはそのことを物語っているだろう。「住まいつつさすらう」ことの中にもそうした心性は反映しているはずだ。
 最終章で次の文章に出会った。
 「カミーノを歩くことで次々と現れる魅力に光をあてたのは、『遠くなってしまったフィールドへの憧憬』によるものかもしれない。遠いものへの憧れ、すなわちエキゾティシズムは、ある時から政治問題のなかに絡め取られ、近年の人類学的議論においては半ばタブー視される傾向がある。しかし遠いものへの憧れは、フィールドワークに基づく研究が誕生した頃から、フィールドを目指す者とその経験を回想して筆を執る者の双方を常に突き動かす原動力であったのであり、(……)『遠さ』というものが、ものごとを『近づける技術』の論理だけでは捉えきれない生のあり方を考える一つの重要な鍵になると私は考えている」。
 レヴィ・ストロースの時代から時は流れ、旅や徒歩といった日常的な営為にまで文化人類学のフィールドは広がっているのかと驚いたが、「遠いものへの憧れ」が若い著者の原動力でもあると知ってうれしかった。そして山椒大夫に出てくる安寿と厨子王の苦難の旅から四国八十八か所のお遍路さん、伊勢詣や富士講など、日本の巡礼についても思いは広がっていった。
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