2017-05

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家族をめぐって 5

木村まき 著
『空にまんまるの月』・評(西田書店)
―「図書新聞」掲載

 この詩集の著者、木村まきさんはどんな人なんだろう。読み進めるにつれて、だんだんその思いが強くなっていきました。作品は作品として味わいつつ、そんな思いを抑えきれなくなったのはなぜでしょうか。
 愛する人との別れをとことんまで味わいつくすことで、別れのつらさを生きつくし、生き残った悲しさ、淋しさを生のエネルギーにして命をつむいでいこうとする思いの、あまりの深さに打たれたからです。どの詩もとても静かで穏やかであればあるほどに。

   それから先は
   こころで送っていった
   「いいよ」と言ったひとを
   こころで送っていった

   こころに
   お別れはない

 巻頭の『それから先は』です。「こころ」でなら、どこまででも、たとえ生死の境を越えてでも送って行けると詩人は語ります。偶然この世に生まれ落ちて必ず死んでいく。私たちのこの世の時間は不思議です。なんのためにと問うのは詮無いことでしょう。生まれたからには必ず出会いがあり別れがあります。出会いと別れのひとつひとつが、人生を刻んでいきます。そして、やがてどんな出会いも生の必然のように感じられるようになったとき、それを晩年と呼ぶのでしょうか。
 晩年は別れが目白押しです。淋しさが豊饒です。だから、この淋しさをとことん味わいつくすしかないと詩人は語っているかのようです。
 『よばれたら』という詩があります。

   よばれたら
   「はい」ってこたえよう

   ちいさくけれどきっぱりと

 気持ちのいい決意です。しかし、続きを読むとただならないものを感じます。

   いっしょうのうちでいちばんいい
   「はい」をする

   はなびらのまいちるまひる

   わたしは
   ちいさな「はい」をれんしゅうした

 そうか、この詩のテーマは「別れの予感」なんだな。別れのその日のための一度きりの「はい」なんだな。そして次の頁をめくると『挨拶』。そこには(たぶん焼き場であらわになった)お骨のことが描かれていました。
 切なくなりました。しかし、詩人は悲しんでばかりいるわけでもないようです。『食卓』では、ひとりの家でごはんを炊いています。

   いない人と囲む食卓

   心がいっぱいやってきてほんわかどころではない

 そして最後の一行は「いない人のいるわが家はそうぞうしい」。好きな詩です。生きるって、生き残るってそういうことかもしれません。
 「世界」だった「あなた」は、東京・中野の病院で亡くなられたらしい。その最後のひとときは『あなたに』『ありがとう』『声』『0号室は平安です』『愛撫』などの美しい詩篇となって、滴りおちました。なかでも『0号室は平安です』は、「あなた」と「わたし」の二人っきりの時空を歌い上げて見事です。

   あなたはいっそううつくしく
   わたしはいっそうしあわせで
   ああ烏兎怱怱
   世界の愛をあつめてもなお

 この詩の最後に小さく「東京・中野のK病院では霊安室に0と表札がかけてある」と註が添えられていました。
 小沢信男氏の跋文で、木村まきさんは冤罪事件で知られる横浜事件の代表告訴人・木村亨氏の夫人で九十八年に木村氏没後その遺志を受け継ぎ、第三次再審請求人として活動しておられると知りました。
 木村まきさんはあとがきでこんなふうに語っています。
 「詩はどこからくるのでしょう。夫、木村亨が一九九八年七月一四日に死去し、私のからだは詩を嘔吐しました。詩として吐き出さなければ、自家中毒を起こし死んでしまったに違いありません」
 そうか。これらの詩はそんなふうにしてこの世に現れたものだったのか。そして、いまなお「あなた」と向き合って生き続けられるのも詩の力なのだと知りました。
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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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