2017-05

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物語のなかへ14

マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著 田尻三千夫訳『わたしのギリシャ神話』(同学社)
―「図書新聞」掲載

 ギリシャ神話を読もうと思ってアポロドーロスの『ギリシャ神話』を買い求め、幾度となくチャレンジしてはあまりのややこしさに挫折した経験がある。しかし、最近、藤原伊織の遺作『ダナエ』を読んで、再びギリシャ神話への思いがふくらんだ。王女ダナエは孫に殺されるという託宣を信じた父、アクリシオス王によって塔に幽閉されるが、黄金の雨となって侵入したゼウスと交わり、息子、ペルセウスが生まれる。小説ではエルミタージュ美術館に収蔵されていたレンブラントの「ダナエ」に硫酸をかけられてしまうというエピソードを引き、それにオーバーラップするように物語が進行していく。 
 この託宣は思わぬ形で実現してしまうのだが、小説の主人公が語るダナエの物語は、親と子、男と女の関係の深淵をあぶりだすようで小説をひときわ印象深いものにしていた。ギリシャ神話は系統立てて読むものというよりも、その世界に魅せられた現代の語り部たちを水先案内人として読み進めるべきものなのかもしれないと思いつつ、本書を手にとった。
 本書にはドイツの詩人・作家のマリー・ルイーゼ・カシュニッツが独自の視点で選び出し、再構成したギリシャ神話十六編が納められているが、「巫女シビュラで始められ、ケイローンが続き、神々の世界を中心とする物語はデーメーテールとへーパイストスに関するものだけで、エーオースで締めくくられるという構成はおそらく他には見られないでしょう」と訳者あとがきに記されている。
 冒頭の巫女シビュラはこの世界と同じくらい古い存在で、生まれ落ちた時から岩の上で予言を始める。アポローンの妹、母、あるいは花嫁とも呼ばれるが、王位はアポローンに譲りあくまで巫女として国民に託宣をする役目にとどまる。時の流れとともに様々な姿で登場するが、シビュラは自然の王国の象徴であり、異郷の神々とキリスト教世界の橋渡しの役割を果たしたことが明かされていく。
 シビュラを冒頭に置いたのは、カシュニッツがおそらく神話の花開く原郷をここに見たからに違いない。そこは東西が分かちがたく結びついた辺境の、精霊たちが跋扈する原野であった。巫女シビュラがデーメーテール、アンティオペー、ダナエ、ニオベーといった女神たちや女たちを呼び寄せていく。
巻末にはカシュニッツの略歴も添えられている。一九〇一年、ドイツ生まれ。夫は古典考古学者で古典時代のギリシャの陶器に造詣が深かった。二十六年から三十二年まで夫とともにローマに滞在したことが契機となって、文学的才能を開花させていく。第二次大戦下で長篇小説『エリッサ』を当初持ち込んでいたユダヤ系の出版社から引き上げ、別の出版社に乗り換えたことは彼女の大きな負い目になった。本書の初版は四十四年、戦時下のことである。
 彼女は戦時下のフランクフルトでの生活を「内的亡命」ととらえ、ギリシャ神話の再話に取り組むことが「わたしたち流の抵抗だった」と苦しい胸のうちを伝えている。本書が内的亡命の日々の中でコツコツの書き進められた一冊であると知ってみると、彼女の神々の選択の中に、ナチス体制下であえぐヨーロッパ精神の深層心理とでもいうべきものがじわじわと滲み出ているような気がする。
 カシュニッツの前書きも新版のための後書きも一つの作品のように濃密である。前書きでは自分が取り上げた神々、半身、英雄、妖精のすべてに共通するものは「産み出すと同時に破壊的でもある自然力の無意識的な跋扈から、運命に脅かされてはいても自らの意志で行動する人間精神の支配圏へと至る道程」であると語る。後書きでは、夫とともにギリシャの陶器画を見ながら神話の時空に思いをめぐらせ、「陶器画の優美で、時にはとても愉快な人物たち」が文学の中ではとても悲劇的に描かれていることが心にかかったと記されている。そして「絵と言葉の不一致」を「自分に対して決して十分に説明できてきませんでした」とし、戦後も本書で扱った素材に取り組み、五十二年に『イアーソーンの最後の夜』、五十三年に古いシビュラの話に基づいた十字架伝説、『十字架の劇』(いずれも放送劇)を書き、そのことによって「ようやく第二次大戦後に、わたしは神話の呪縛と南方の風土の呪縛からわが身を解き放ち、現在とこの時代の人間たちに取り組んだのでした」と後書きを結んでいる。
「神話の呪縛」と「南方の風土の呪縛」という感受は、西欧の知識人たちがギリシャ神話をどのように受容してきたかの一端を示していて興味深い。巫女シビュラを導入として一冊のギリシャ神話集を編み、さらにシビュラに基づいた物語を創作することで、彼女はこの世に「悲劇」を呼び込んでしまう「言葉」に改めて向き合うことになったのだろうか。
 神話とは、このように一人の作家の中で醸成され生き続けていく人間の魂の物語であるのかもしれないと思わずにはいられなかった。
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梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
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ささやかな感想をしたためていきま

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