2017-11

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物語のなかへ17

赤坂香津於 著『盆太鼓・他―赤坂香津於短編集』
(早稲田出版)
―「図書新聞」掲載

 本書に収録されている六つの短編のうち五編は一九六五年から六六年末までに、すなわち著者が三十代後半に発表したものである。それに二〇一一年に書き下ろした「立ち入り禁止」を加えて一冊にまとめられている。
この新作には次のような著者の前書きが添えられている。
 「日米戦争が終結して六十五年以上も経った今では、戦後にこんな事実があったことなど知るよしもない人が多くなった。そこでこの作品は、当時の世俗の一面を正しく知らしめるため、フィクションを入れずに書いた」
作者が自らのバックグラウンドを知ってほしいという思いが伝わってきて、まずこの作品から読み始めた。
 青山(著者のことだろう)は秋田県鹿角盆地に位置する村の出身だが、二十三歳のときに妻子と青森県三沢に移り、画才を買われて基地で働くようになる。やがて自分の店をやりたいという思いが強くなり、温めてきたイメージをもとに米兵相手のしゃれたバーを開く。店のインテリアやモダンジャズと映画音楽を流すセンスのよさが評価されて、青山の店は品のいいエリートたちが集まる場所になっていく。
 この青山の手腕は土地のヤクザの親分にも買われて一目置かれる存在になる。その後、若い米軍将校夫妻がやっていたクラブを譲り受け、さらに事業を拡張していく……青山は基地という特殊な場所で、基地のアメリカ人、土地の日本人と親密な交友関係を結んでいく。
 戦争や敗戦、戦後の占領下の日本人の生活は小説家たちの重いテーマとなってさまざまな作品が書かれていったが、いっぽうでこんな積極的な生き方もあったのだと驚いた。
 十代後半で終戦を迎えた青山、すなわち著者は、それを強く意識したかどうかわからないが、アメリカにも日本にも、つまり「国家」というものに組せず、「人間」だけを相手にするという生き方を終生貫き通した人物なのにちがいない。
 五十年近く前に書かれた他の五編は舞台も時代もバラエティに富んでいるが、そんな著者の率直無類な人生への姿勢から掬い取られた、情感あふれる物語である。
 東北地方の寒村を舞台にした「盆太鼓」に私はもっとも惹かれた。
 大の馬好きで馬のハヤテを乗り回してばかりいる青年栄吉は、農作業を少しも手伝わないために父親と不仲になり、祖母と厩のある母屋で暮している。盆太鼓の指導で隣町まで赴いた栄吉は、その夜友だちからもらった鱈を手土産に、父と仲直りしようと父の家を訪れる。しかし、酒が入っていたばかりに喧嘩になり、かっとなった父は栄吉を薪でなぐって死にいたらしめてしまう。
 その死をハヤテは母屋にいて察知し、祖母を現場へと連れて行く。ハヤテは栄吉を思って涙を流し、葬式のときもハヤテはその死を悼んで前脚でしきりに地面をかく。ハヤテは青年の心の友であり、死に赴く青年の魂を乗せて天上へと運んでいく天馬でもあった。
 いっぽう、青年の母は恐山にイタコをたずね口寄せには興ざめするものの、帰りの車中の夢の中で息子に再会する。母自身がイタコと化してしまったのだ。そんな母は踊りの名手でもあったが、数年後のお盆のころ、敬老会で踊りを披露した直後に舞台で倒れてしまう。舞台に駆け上がってくる医者のスリッパの音、「イトはそれを遠のく意識の中で、馬が駆けてくる蹄の音に聞いていた」
ハヤテも同じ時刻に息を引き取ったと物語は結ばれている。
どこか遠野物語を髣髴させるような民話的な世界であるが、父親の後悔、母や祖母、弟の切ない思いがこまやかに行きかって、実はこんな家族と馬の生活がついこの間まで私たちの暮しそのものであったことをこの物語は私たちに思い起こさせる。
 もくもくと先祖伝来の土地を耕す人々ではなく、農作業をせず馬を乗り回してばかりいる青年、踊り上手の母の血を引き、太鼓が上手で他の村にまで指導にいく青年と馬を著者は物語の主軸に据えた。
友の誘いに応じてさっぱりと故郷を離れ、米軍基地のそばに独力で店を開き、米兵とも土地のヤクザとも友好関係を結んでいく著者は、もしかしたらそんな青年の末裔といえるかもしれない。人間の魂の物語は、そんな末裔たちによってこそ紡がれていくものなのだと思った。 赤坂香津於 著『盆太鼓・他―赤坂香津於短編集』評
8・16刊 四六判192頁
本体1200円 早稲田出版

 本書に収録されている六つの短編のうち五編は一九六五年から六六年末までに、すなわち著者が三十代後半に発表したものである。それに二〇一一年に書き下ろした「立ち入り禁止」を加えて一冊にまとめられている。
この新作には次のような著者の前書きが添えられている。
 「日米戦争が終結して六十五年以上も経った今では、戦後にこんな事実があったことなど知るよしもない人が多くなった。そこでこの作品は、当時の世俗の一面を正しく知らしめるため、フィクションを入れずに書いた」
作者が自らのバックグラウンドを知ってほしいという思いが伝わってきて、まずこの作品から読み始めた。
青山(著者のことだろう)は秋田県鹿角盆地に位置する村の出身だが、二十三歳のときに妻子と青森県三沢に移り、画才を買われて基地で働くようになる。やがて自分の店をやりたいという思いが強くなり、温めてきたイメージをもとに米兵相手のしゃれたバーを開く。店のインテリアやモダンジャズと映画音楽を流すセンスのよさが評価されて、青山の店は品のいいエリートたちが集まる場所になっていく。
 この青山の手腕は土地のヤクザの親分にも買われて一目置かれる存在になる。その後、若い米軍将校夫妻がやっていたクラブを譲り受け、さらに事業を拡張していく……青山は基地という特殊な場所で、基地のアメリカ人、土地の日本人と親密な交友関係を結んでいく。
 戦争や敗戦、戦後の占領下の日本人の生活は小説家たちの重いテーマとなってさまざまな作品が書かれていったが、いっぽうでこんな積極的な生き方もあったのだと驚いた。
十代後半で終戦を迎えた青山、すなわち著者は、それを強く意識したかどうかわからないが、アメリカにも日本にも、つまり「国家」というものに組せず、「人間」だけを相手にするという生き方を終生貫き通した人物なのにちがいない。
 五十年近く前に書かれた他の五編は舞台も時代もバラエティに富んでいるが、そんな著者の率直無類な人生への姿勢から掬い取られた、情感あふれる物語である。
東北地方の寒村を舞台にした「盆太鼓」に私はもっとも惹かれた。
 大の馬好きで馬のハヤテを乗り回してばかりいる青年栄吉は、農作業を少しも手伝わないために父親と不仲になり、祖母と厩のある母屋で暮している。盆太鼓の指導で隣町まで赴いた栄吉は、その夜友だちからもらった鱈を手土産に、父と仲直りしようと父の家を訪れる。しかし、酒が入っていたばかりに喧嘩になり、かっとなった父は栄吉を薪でなぐって死にいたらしめてしまう。
 その死をハヤテは母屋にいて察知し、祖母を現場へと連れて行く。ハヤテは栄吉を思って涙を流し、葬式のときもハヤテはその死を悼んで前脚でしきりに地面をかく。ハヤテは青年の心の友であり、死に赴く青年の魂を乗せて天上へと運んでいく天馬でもあった。
 いっぽう、青年の母は恐山にイタコをたずね口寄せには興ざめするものの、帰りの車中の夢の中で息子に再会する。母自身がイタコと化してしまったのだ。そんな母は踊りの名手でもあったが、数年後のお盆のころ、敬老会で踊りを披露した直後に舞台で倒れてしまう。舞台に駆け上がってくる医者のスリッパの音、「イトはそれを遠のく意識の中で、馬が駆けてくる蹄の音に聞いていた」
 ハヤテも同じ時刻に息を引き取ったと物語は結ばれている。
 どこか遠野物語を髣髴させるような民話的な世界であるが、父親の後悔、母や祖母、弟の切ない思いがこまやかに行きかって、実はこんな家族と馬の生活がついこの間まで私たちの暮しそのものであったことをこの物語は私たちに思い起こさせる。
 もくもくと先祖伝来の土地を耕す人々ではなく、農作業をせず馬を乗り回してばかりいる青年、踊り上手の母の血を引き、太鼓が上手で他の村にまで指導にいく青年と馬を著者は物語の主軸に据えた。
 友の誘いに応じてさっぱりと故郷を離れ、米軍基地のそばに独力で店を開き、米兵とも土地のヤクザとも友好関係を結んでいく著者は、もしかしたらそんな青年の末裔といえるかもしれない。人間の魂の物語は、そんな末裔たちによってこそ紡がれていくものなのだと思った。

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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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