2017-08

物語のなかへ21

ヨナス・ヨナソン 著・中村久里子 訳『国を救った数学少女』(西村書店刊)
―「図書新聞」掲載

 五〇〇頁近い大長編だが、舞台の時空が一九七〇年代から三〇年間の世界情勢とダイナミックにリンクして最後まで一気に読み通さずにはいられない不思議な魅力に満ちている。
著者のヨナス・ヨナソン氏はスウェーデンの作家で、テレビ、新聞などのメディアで長く仕事をしてのち作家に転身、前著『窓から逃げた百歳老人』は世界中で百万部も売れた大ベストセラーだという。本書はそんな著者待望の第二作である。
本書の魅力のひとつは、南アフリカ共和国の貧民街に生まれながら、数学にたけた能力を駆使して人生を賢く冷静に切り開いていく主人公の女の子、ノンベコである。そしてもうひとつは、ノンベコに絡んでくる人々が、一九七〇年代から八〇年代の南アフリカ共和国を軸にスウェーデン、中国、イスラエルの政治に深くかかわっている人物たちであることだろう。楽しんで笑っているうちに、実はいま自分が生きている世界が、とるに足らない人間たちの浅慮によって構築された儚い砂上の楼閣であること、そして自分たちがノンベコのような果敢さをどこかに置き忘れて生きていることに気づかされる。
 物語は一九七〇年代のヨハネスブルグ近郊の下層民居住地区ソウェトから始まる。狂言回しに使われるのは、なんと原子爆弾である。それを言わば大人のおもちゃのように見做して、ラグビーボールさながらのパス回しで物語をグイグイ引っ張っていく。
黒人の少女ノンベコは、貧民街のし尿処理場で働いている。勇敢で頭がよくて、とくに数学に天才的な才能を発揮し、語学力にもすぐれている。権力を振り回す役人たちが、実は中身がカラッポで無能であることにあきれつつ、15歳にして所長としての仕事を切り盛りしている。そして、貧民街で出会った「変人タボ」から字を学び、彼が所有している本を読みあさるようになる。週に1度はラジオで「アフリカの展望」を聞きながら、ソウェトの外の世界に思いをはせる。この蓄積が彼女の人生を大きく変えていくことになる。
当時の南アフリカ共和国では、九〇年代までつづくアパルトヘイト政策が強烈に進められていた。支配層の白人は全人口の数%である。役人にたてついて仕事を失ったノンベコは首都プレトリアの国立図書館を目指す。
 「そこはたしか、黒人立ち入り禁止地区ではないはずだ。少し運がよければ、中に入れるだろう。入って何をするか、本の香りをかいで眺めを楽しむ以外のことは思いつかなかった。でも、それが始まりになる。文学はきっと自分を前に進ませてくれる」と彼女は確信していたのだが……。
 図書館を目指したはずのノンベコは原子力研究所に幽閉されるはめになる。当時のフォルスター大統領が実名で登場し、研究所に六発の原子爆弾を一刻も早くつくるようにと矢の催促をしてくる。これは物語上のフィクションかと思っていたのだが、気になって調べたら事実だった。七〇年代から八〇年代にかけて、南アフリカではまさに六発の核兵器がひそかに製造・配備され、その後廃棄されたことが九三年に明らかにされている。著者はこの事実があったからこそ、原子爆弾を狂言回しに据えて物語を紡いでいったのだろう。
 物語では中国の要人やイスラエルの諜報部員がこの研究所を訪れ、所長の秘書的な役目を引き受けているノンベコと接触する。舞台がスウェーデンに移ってからも彼らは重要な役目を果たす。アフリカと言えば、ヨーロッパ列強によっていいように国土を細分化され、奴隷として売買され、独立後も血みどろの民族紛争に明け暮れ、エイズやエボラ出血熱に倒れる人々が続出……という後進世界のイメージしか抱いていなかったが、実は当時の核開発競争から無縁でないどころか密接に関係していたことが見えてくる。
 少女の冒険譚がこんな世界の政治状況を手玉にとるものであることが痛快だ。
 核の恐怖が実は幻想と紙一重であること、そして、にもかかわらず核はあちこちの国家の倉庫で眠っていることの滑稽さと恐ろしさ。そしてこの事態を切り開いていくことができるのはたった一人の果敢な女の子の叡智かもしれないとしたら、ちょっとは世界を見直したくもなるのだが。
 あとは物語に分け入っていただくしかない。
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