2017-06

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物語のなかへ22

田口ランディ 著『指鬘物語』(春秋社刊)
―「図書新聞」掲載

 不思議なタイトルに惹かれて頁を開いた。「指鬘」は仏陀の弟子であるアングリマーラの漢語訳で、アングリには指の意味もあるそうだ。
 本書は著者にとって初めての短編集で、四〇〇字にして一〇枚ほどの掌編小説が二十四編収められているが、作品の多くは指をめぐる物語である。著者はあとがきで「あたりまえのことが、奇跡のように思える。その一瞬をとらえるのが、短編を書く面白さ」と語っているが、アングリマーラを基軸にした二十四編の周到な配置ともあいまって、田口ランディは短編もいい。いや、短編がいい。そう思ってしまった。
 冒頭に「青空」と題した二十五年間服役中の死刑囚の話、そして最後に「谷に眠る指」として、アングリマーラをホーリーネームとして与えられたオウム真理教の男(教祖を裏切って自首し、死刑が確定して服役中―)を発端にした話が置かれている。
アングリマーラは修行者だったときに、師から不貞の誤解を受ける。百人殺してその指を首輪にしたら悟ることができると教えられて、仏陀に出会うまでに九九人も殺した。仏陀に会って解脱したとはいえ、殺人者である。アングリマーラも死刑囚も、殺してまで何を得たかったのか。それは得られたのか。この問いが、『指鬘物語』の通奏低音をなしている。
 「青空」で描かれる、死刑囚が見た夢には、著者の救済をめぐる思念がこめられているように思われる。この夢を呼び水のようにして、さまざまな人生の局面が「指」をキーワードに切り取られていく。
 赤ん坊を授かった若い家族の話、老親と同居して最期を看取る高齢夫婦の話、亀やハムスターの命の話……物語の多くは、ありふれた日常のひとこまだが、そこには田口ランディならではの透徹した眼差しでとらえられた、時空を超えて行き交うものの存在がたしかに描かれている。
 「アングリ」は、酒鬼薔薇聖斗の事件を遠景においた物語だ。姉を失い身代わりのように子供を身ごもった「私」は、テレビで流れる事件に引きつけられる。
 「人間の壊れやすさを確かめるため、少年は少女の頭をハンマーで殴った。その行為に『アングリ』と名付けた。/アングリ、と聞いたとき、少年が自分の指を光に透かし、返すがえす眺めている姿が見えた。この指は、なぜ動いているのか、この指で、何が出来るのだろう、と」。
 そして、自殺した姉から聞いたアングリマーラの話を思いだす。赤子に乳を含ませつつ、アングリマーラは救われたと教えてくれた姉の短かった一生を思っている。
 どの話にも死の影が静かに射し込んでいて胸をつかれるが、集中最も好きな一編は「リリ」。長生きした亀の話だ。リリの死を察知したとき、「私」は思う。「身体は、意識よりもずっと敏感にこの世界の出来事を察知しているのかしら」と。リリの話に指は直接出てはこないが、ここで言う「身体」を「指」と言い換えてもいいだろう。いつも「洞穴で瞑想する修行者」のように暗い隅にうずくまっていたリリが死ぬ。「その時、初めてリリは、巨大な琥珀色の甲羅から四本の足を伸ばし、全身全霊で私の中心に立ち上がり、周辺に追いやることなど不可能なトーテムとなった」と一編は締めくくられる。
 「指の不思議は人の不思議、いのちの不思議」とあとがきにあるとおり、指は人が人を慈しむために神から授かった大切な道具であると同時に、人が人を殺める道具にもなり得る。
 そして、指は、それらのすべてを包み込んで荘厳するかのように物語を紡ぎ出していく「手仕事」のために存在しているのだ。
大切に心に刻みつけていたはずの宝物のような記憶も、歳月とともに指の間をほろほろと零れ落ちていく。老いるとはそういう日々に直面することでもある。人生の晩年へ足を踏み入れて、おぼろになった自らの記憶への哀惜を込めて「奇跡のような一瞬一瞬」をゆっくりと味わった。
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梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
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書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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