2017-05

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物語のなかへ 4

ケティ・ガードナー著 田中典子訳
『河辺の詩―バングラデシュ農村の女性と暮らし』・評(風響社)
―「図書新聞」掲載

 イギリスの若い人類学者が、バングラディシュの農村で八十七年九月から十五ヶ月間にわたっておこなったフィールド調査をまとめたものである。バングラディシュといえば、世界最大のデルタ地帯、洪水と貧困……そんな漠然とした印象しか抱いていなかったが、本書の独特の語り口が描き出す生き生きとしたベンガルの世界にたちまち引きずり込まれてしまった。 
 知をたずさえた人々がフィールド調査と称して地域に入り込んでいくときの「不平等感」は、「力の弱い『南』の社会出身の人々を対象に研究する『北』の人類学者」に必ずつきまとう問題だと著者は述べる。そして、こうもいう。「しかし、これを強調しすぎてもいけない。(略)この問題の解決策の一つは、『自分自身』の社会を研究することだ」 
 研究者が村人たちを一方的に観察するのではなく、異世界に投げ込まれた著者自身の動揺や困惑、そしてそれが次第に変化していく様子が率直に描かれているところが本書の特長だろう。著者が取った方法――すなわち「自分自身の物語」と「自分自身が描写する人々の物語」を織り交ぜていく方法は、村の人々をくっきりと浮かび上がらせていく。結婚、災難、病、死といった人が誰しも逢着する場面を、雨季と乾季という壮大な自然の変化と巧みにリンクさせることで、人々の自然やイスラム教とのかかわり方を次第に明らかにしていく手法は見事である。 
 本書を「河辺の詩」と名づけた著者の意図するとおり、日々の暮らしは祈りと唄に彩られて、貧しくとも豊かで美しい。現に生きている人々の暮らしを調査するということは、そもそも、こうした日々の暮らしの滴りを大切に受け止めることに他ならないだろう。
 バングラディシュの北東部、シレットから3時間ほど離れた、タルクプルと呼ばれる村がその舞台である(村の名や人名は著者の意図で仮称とされている)。雨季の真っ只中の九月、著者は、水をたたえた川とも水田とも判別のつかない中をボートで村に到着する。
 「農村の女性と暮らし」という副題のとおり、物語の中心は、村の女性たちだ。
 著者の滞在したバリと呼ばれる屋敷には二世帯、二十五人ほどが暮らしている。バリにはイトコ、甥、姪、オジ、オバたちが始終出入りして、いつもにぎやかだ。男たちが畑に出ている間、女たちは中庭にしゃがんでジュートを剥きながらおしゃべりに興じ、洗濯をし、料理をする。出歩くときはブルカをかぶって顔を隠し、全身をサリーでしっかりおおう。ショロム(恥)とポルダ(隠れること、隔離)は女性であることの自然な状態の一部なのだ。著者は困惑しながら、たずねる。「もっと、自由が欲しくない?」答えは「ノー」すべてはアッラーの神の御心のまま、貧しさも悲しみもアッラーの思し召しなのだ。
 ルキア、アンビア、クディ・ビビ、シェリ、ホスナ、バネッサ、そして著者がもっとも親しく語り合ったシュフィア……名前を挙げていくだけで、眼前に彼女たちの姿が浮かび上がってくる。彼女たちの唄やおしゃべりが聞こえてくる。
 いつしか美しい村の水辺に立って、イスラム世界というより、なつかしい「アジア」を呼吸していることに気づかせられる。
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Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
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書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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