2009-11

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物語のなかへ 12

宮本春樹著
『はまゆう年代記 海と山の約束』・評(創風社出版)
―「図書新聞」掲載

 宇和海に面した芋背という架空の村が物語の舞台である。宇和海でイワシ漁を営み、水の少ない急峻な土地に石垣を組んで段畑でわずかな農作物をつくって生計を支えてきた人々の四百年にわたる歳月が、村君(網元)一族を中心につづられていく。
 人間がその土地に根づいて生活していくことの意味について深く問いかける一書であり、どのような環境本よりも的確に今日の環境問題の本質に迫っている。
 著者は宇和海の歴史を調査報告した『段畑とイワシからのことづて』(平成一八年刊)で愛媛県出版文化賞を受賞した。いま、改めて架空の物語として本書をつづった理由について、前著を上梓するにあたり「多くの伝説や民話や聞き語りを割愛せざるを得なかった。それらの声、自然の声を物語化してみたのが本書である」と記されている。
 本書末尾の「出典と登場人物」によれば、芋背村のモデルは愛媛県宇和島市遊子水荷浦であり、「愛媛県南予地方の伝説、歴史、実話、実在の人物を素材としている」とある。『はまゆう年代記』にみなぎるリアリティは、民話や伝説の中に息づく「人々の声」や「自然の声」に裏打ちされているとともに、長い歳月を費やして村々を歩き回り調査を重ねてきた著者の意思と熱情から立ちのぼってくるのだと納得される。
 この一帯のイワシ漁の歴史は、玉葉和歌集(一三一三)に収められた古歌にも歌われるほど古いもので、古来よりイワシの好漁場であったらしい。十七世紀、江戸時代の初め、旅網という瀬戸内海の渡り漁師の一団に助けられた親を知らない少年と少女が、花浜というはまゆうの咲く美しい入り江に村をつくるところから物語は始まる。この一団のためにイワシ漁の拠点をつくるという使命を託された二人は、助けられた恩義に報い、与えられた使命に応えようとして懸命に海と山に向き合う。そこには乱獲や乱伐など私利私欲の入り込む余地はどこにもない。山や森の豊かさが海の豊穣につながることが、漁や農の営みを通じて子や孫へと伝えられていく。一つ一つの営為に意味があり、対岸の山の民との連帯が欠かせない。それらをしっかりと守っていかなければ、生活そのものが破綻するということを人々は骨身にしみて知っていた。
 イワシ漁は海流や海中のさまざまな条件に左右されて、不漁期と豊漁期の大きなサイクルをくり返していく。それはかつては自然の中で引き起こされる人智の及ばない出来事であったが、明治以降に海辺の森を切り開いて段畑をつくることがすすみ、山と海の分断が本格化した頃から海の生態系が崩れはじめる。
 戦争を経て、不漁と豊漁のサイクルはさらに人為的な要因に大きく左右されるようになる。 
 そして、二十一世紀の現在、芋背村は海洋汚染によって魚や真珠の養殖が危機にさらされている。高齢化もすすんでいる。芋背村は、海や山とともに再生を果たすことができるだろうか。破壊された海や山の回復には、年代記に流れた時間と同じくらい長い時間がかかる。著者は村に残って漁業の再生にかける若者たちの姿を描いて筆をおいている。それは著者の祈りが凝縮した姿であるだろう。芋背村の未来は、経済効率最優先で突き進んできた私たちの社会の未来にそのまま重なっていくものである。
 とくに第一章と第二章に描かれた十七世紀、十八世紀の芋背村の物語は、自然と折り合って生きる暮しと、人々が蓄えた知恵を次世代にバトンタッチしていく有様を見事に伝えている。海と山の物々交換や嫁取りの風習、随所に織り込まれた祭りの歌垣や漁の綱引き歌は、物語の時空に濃やかな奥行を与えている。
 自分の先祖はどこからやってきたのか。どうしてその土地に住み着くようになったのか。偶然に漂着した土地がどのようにしてかけがえのない場所となり、代々住み継がれていったのか……さまざまな要因の奥底には、きっと土地そのものが人のこころに与える力があったはずだ。そんな土地の声に耳を澄まし、丹念に調査を続ける著者の思いは、温暖化や海洋汚染による環境破壊を声高に論じるよりもいっそう痛切に、海や山のかけがえのなさを私たちに伝えてくれる。






物語のなかへ 11

ダニエル・N・リーソン著 楠瀬佳子・江口英子訳
『モーツァルト・レクイエムの悲劇』・評(第三書館)
―「図書新聞」掲載

 クラシック通ならモーツァルトの最期の未完作品、『レクイエム』をめぐってさまざまな物語が存在することを知っているだろう。そんなクラシック通はもとより、私のようにときどきクラシックを聞く程度の門外漢をも引きずりこんでしまう一冊である。
 著者はアメリカのモーツァルト協会の創立者の一人でクラリネット奏者としても活躍しているが、実は長くIBMに勤務していたコンピュータの専門家で、大学で数学を教えたこともあり、「モーツァルトと数学」という演題で講演もしているというユニークな人物だ。
 「私はこの作品の複雑な歴史を解明するという、これまで一度も成し遂げたことのない課題に取り組んだ。想定している読者層は幅広く、この問題についてほとんど知らないが、もっと知りたいと思っている人たちだ」
 「語りの手法をとっている理由は、専門家向けの学術論文のようなものではなく(略)、この話の内容を悲劇的だが、魅惑的な物語としてあるがままに、読んでいただきたいという願いから生れたものである」
 途中、数学畑の人らしい、理詰めの細かい記述も出てくるが、それも謎解きの一興、物語の舞台である十八世紀末のウィーンに降り立って、著者といっしょに謎解きをすすめる探偵のような気分になってくる。
 教会でミサにあずかったこともなく、本来のレクイエムの構成もまったく知らない私にとって、レクイエムはクラシックの名曲のひとつである。一気に天上に引っ張りあげられていくような出だしがとくに好きだし、モーツアルト的であると思って聞いてきた。原型はモーツアルトの手で出来ていて、あとは弟子あるいは親しい作曲家がその意志を可能な限り貫く形で完成したもの、したがって、まぎれもないモーツアルトの作品なのだと単純に思い込んできたのだ。 
 しかし、作品の成立には思いのほか混み入った事情があり、その「未完」をめぐる考察は二百年以上たった今日でもまだ十分に論議しつくされたとは言えないらしい。
 そこで、著者は、「この伝説的な作品にまつわる物語を検証するには、意見の相違点がほとんどない数少ない重要な詳細を再検討するところからはじめるのが一番いいだろう」として、モーツアルトの死の床に立ち戻り、じっくりと謎解きを開始する。 
 モーツアルトの枕辺にはレクイエムの手稿が八十枚ほど残されていた。それらは、モーツアルトの創作意図に沿って、モーツアルトの作品といってもいいほどの状態に仕上げるには材料としてとても不十分だった。しかし、そのことを十分に理解することなく、妻、コンスタンツェは完成を第三者に依頼した。モーツアルトにレクイエムを依頼したヴァルセック伯爵にそれを納めて代金を得たかったからである。コンスタンツェにはレクイエムを完成させるのはそんなに難しいことではないと思われたのだ。
 そんな彼女の見込み違いが、レクイエムを残すことになった一方で、レクイエムはいったい誰の作品なのかという謎を引きずって行くことにもなった。
 残された手稿とはどんなもので、そこにどんな他者の手が、どの段階でどんな意図で入っていったのか。現在演奏されているレクイエムはいったいどういうものなのか。過去のさまざまなアプローチを尻目に、著者独自の丹念な掘り起こしがなされていく。 
 未完のレクイエムの欠陥を3つの段階にわけて解きほぐしていく著者の手際は、ときにいささか執拗なほどだが、その熱意にほだされて思わず手持ちのCDを持ち出して聞き直さずにはいられなくなる。
レクイエムの完成者は弟子のジェスマイヤーだったと言われているが、後世に、その完成をよしとしないさまざまなジェスマイヤーが現れ、レクイエムを完成させようと試みてきたのだそうだ。最近では1991年にイギリスのダンカン・ドゥルースという人が完成版をつくったそうだ。レクイエムは、次々に新しい命を吹き込まれては再生して、その謎をさらに深めていく迷宮のようではないか。
 本書の最後にはレクイエムがその後どのように西欧社会において演奏され享受されてきたかが記されている。ナポレオンの遺体がセントヘレナ島から移されたアンヴァリッドのサンルイ教会で、ケネディ大統領が暗殺されたときボストンの聖十字大聖堂で、二〇〇一年九月十一日の悲劇を記念して、翌年の九月十一日にはローリングレクイエムとして、世界の二十カ所でレクイエムの演奏が行われるというように、レクイエムは西欧社会が共有するもっともかけがえのない鎮魂ミサ曲なのだ。著者をはじめとする人々の飽くなき探索は、西欧社会が今日まで脈々と伝えてきた、こうした宗教的基層を抜きには考えられないのだろう。 
 読み終えてふたたびレクイエムを聞く。たちまち壮大な教会の伽藍が頭蓋の中に出現する。もしかしたら、私は、十八世紀のウィーンでモーツァルトとすれちがった誰かの魂の生まれ変わりなのかもしれない。ふとそんな錯覚に陥りそうになった。

〈本〉の彼方 4

荻生待也 編著
『図説ことばあそび 遊辞苑』・評(遊子館)
―「図書新聞」掲載

 クロスワードパズル、語呂あわせ、駄洒落、しりとり、アナグラム、回文……こうして思いつくままに並べてみると、二十一世紀の今日でも、私たちはけっこう言葉遊びを楽しんでいることに改めて気づかされる。短詩型文芸にいたってはそれ自体が「言葉遊び」と言われることもしばしばである。
 短い言葉を組み合わせて楽しむ娯楽を、私たちはどうしてかくも愛するのか。不思議と言えば不思議だが、ときにクロスワードに熱中してしまう自分を考えると、「言葉」を組み合わせたり分解したりする遊びは、組めども尽きない泉のように思われる。持てる知識や記憶を総動員して、複雑な謎を、からんだ毛糸玉をときほぐすように少しずつ解いていく。最後にパッと展望が開けたときの快感は、高い山を制覇したのとそんなに変わらないようにすら思われる。
 そんな快感がどこにもいかずとも、今すぐに机上で得られてしまう。それは言葉遊びだけが可能にしてくれる醍醐味である。
 本書はそんな言葉遊びを集大成した本格的な総合辞典である。
「十八系統、四百九十余項目に日本語言葉遊びの用語を収め、そのほとんどに解説と用例を掲げてある。この収載規模は、この種の出版物にかつて見られない豊富なものである。用例や参考例などの多彩さも合わせ、遊辞苑という名の総合辞典に恥じないもの、と自負している」
 編者が語るとおり、実に多彩な言葉遊びの宇宙に圧倒される。そして、こうした言葉との付き合いが、日本にあっては古事記の昔から、西洋にあっては紀元前数世紀の古代ギリシャの時代から、人を魅惑し続けてきたことを知るにつけ、人間と言葉の係わり合いの深さを思わずにはいられない。
「言葉遊びは古代の呪術や神事に端を発し、言葉には超自然の霊力が乗り移っているとする言霊信仰に言葉を戯笑化しうるエネルギーが込められていた……祝詞はたぶんに神がかり的であると同時に、戯れのための文彩(修辞)・弄辞を存分に駆使している。祝詞から祭祀の部分を取り除くと、あとには言葉遊びのエッセンスが残るといっても過言ではないのである」
 どこから読んでも面白いが、短歌や俳句にかかわっている人なら、第一章の「折句系ことばあそび」は親しい世界であろう。
 編者はこんな逸話を紹介している。「藤原定家はあるとき〈冠折句〉に遊び、いくつもの隠句をもって春・夏・秋・冬から恋・雑にわたる部位をなし、計百首を一日足らずで詠んだ」。これを耳にした慈円はその翌日、冠が「あさかすみ……」となる百首を、所要時間4時間で詠じて対抗したそうだ。なんだか子どもじみているが、言葉遊びは言葉好きをそんなふうにしてしまう魔力を秘めている。それもまた言霊の一種かもしれない。
 推理小説好きなら第五章「アナグラム系ことばあそび」に関心があるかもしれない。名前のアナグラム化はよく知られている。もしやと思ったら、案の定、本書の編者名荻生待也も本名である内山幸雄をアナグラム化したものであるそうだ。アナグラムは西欧の言葉遊びかと思っていたが、どうして、日本語でもかなり遊べる。「アナグラム戯句」「一首万化詠」「一句両吟」「天狗俳諧」……やはり短詩系は言葉遊びと密着しているようだ。
 第8章は「洒落系ことばあそび」。おやじギャグなど駄洒落は今日もっとも親しい言葉遊びのジャンルかもしれないが、意外に奥が深い。「〈洒落〉は江戸文化を派手に飾った知的産物で、天明記(一七八一〜八九)にはおりからの〈狂歌〉大流行とあいまって、普及が頂点に達した。気のきいた〈洒落言葉〉や〈軽口〉一つ言えぬようでは江戸っ子でない、という風潮すら生んでいる」「〈洒落〉の精神は、近代へ入っても衰えをみせず、さらに現代に生きるわれわれの心根にも、風流を解する命脈として息づいている」
 古典落語は〈洒落言葉〉の宝庫だそうだし、落語の落ちも言葉遊びであるそうだ。言葉遊びは笑いとも深いつながりがあるのだ。
 謎なぞ、早口ことば、文字遊び……興味の赴くままにひもといていくと、時間がたつのを忘れてしまう。巻頭には文字絵の例として、小野小町の歌仙絵や無筆重宝国尽案内、其のまゝ地口猫飼好五十三疋などの錦絵が収録されていて、いっそう興味をそそられる。 
 

物語のなかへ 10

マルタ・オソリオ著 外村敬子訳
『棒切れ木馬の騎手たち』・評(行路社)
―「図書新聞」掲載

 国家間の戦争や宗教の問題を子ども向けの物語に仕立てるのはむずかしい。複雑な経緯を削ぎ落としてシンプルに再構築し大切なことだけを伝える、そんな児童書の本領があざやかに発揮されているのが本書である。
 舞台は十七世紀のドイツの片田舎、オスナブリュック。当時のドイツはオーストリアやボヘミアなども包括した神聖ローマ帝国で、全土を戦場として三十年戦争と呼ばれるカトリックとプロテスタント間の宗教戦争が繰り広げられていた。
 巻末に添えられた解説で小椰治宣氏は「そのあたりの事情はなかなか複雑で、日本人には理解しにくい点もあります。ところが作者は、第1章『戦争 一六一八年』で―ケプラーやガリレオといった私たちに馴染み深い名前を出しながら―軽いユーモアに少しばかりの辛辣さを加味した筆で、そのあたりをわかりやすく描き出しています」
 そうなのだ。私たちは長い戦争にあえぐオスナブリュックの貧しい織物職人地区の一角にたちまち入り込んでしまう。戦争で荒廃しきったこの地区に数年前から棲みついたマドレ・ベルテという、どこか魔女めいた女性。その女性の小屋へ夜ごと集まってくる地区の貧しい少年少女たち。子どもたちは彼女の手づくりのお湯みたいなスープを飲みながら、おしゃべりに花を咲かせている。気がつくと暖炉の火がちらつく薄暗い床に座り込んで、マドレ・ベルテや子どもたちの話に耳を傾けている自分がいた。  
 マドレ・ベルテに家族はない。戦争で孤児になった女の子、エナと二人暮らし。薬草に詳しく、お産や病気のときに手助けをしてくれる彼女を地区の人々は頼りにしている。
 ある日大聖堂に鐘が鳴りひびき、この町で長い戦争を終結させるための会議が開かれる。しかし、ヨーロッパの各地からやってきた大使たちの話し合いは決着がつかず何年もの歳月がいたずらに過ぎていく。
 物語はマドレ・ベルテの小屋と彼女が薬草を売りに行く広場を舞台に、さまざまな人々を登場させる。パリからやってきた旅の瓦版屋親子、ハンガリー生まれで足を失ったバイオリン弾きの兵士、エステバン、スペインから流れてきた教師、フランシスコ、旅芸人の一座。会議のためにフランスからもスペインからも大使たちが交渉にやってくる。神聖ローマ皇帝の大使、ベネチアの外交使節団、スウェーデンの代表団、フランスの一行の中には、モーロ人もいる。ベネチア大使の召使は黒人……この広場にはヨーロッパ中のあらゆる階層とあらゆる人種が吹き寄せられているかのようである。
 広場で固唾を呑んで平和会議の成り行きを見守る大人たちを尻目に、業を煮やした子どもたちは実力行使に出る。それも棒切れ木馬にまたがった騎士団を結成して平和を訴えるという、実にチャーミングなやり方で。
 薬草売りのマドレ・ベルテは、よしもとばななの『王国 その1』に登場する薬草茶づくりの祖母を髣髴とさせる。戦争が常態化しているということは、日常的に死と生の境目が危うくなっていることでもある。境界線でウロウロする子どもたちが生の側にちゃんと立っていられるように、マドレ・ベルテは子どもたちをやさしく見守る。なんとなく「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のようである。もともと、魔女やおばあさんとは、共同体にとってそんな役目を担う存在であったのかもしれない。
 著者のマルタ・オソリオはスペインのグラナダ生まれ。少年少女向きの童話で数々の文学賞を得ている。訳者のあとがきによると、「この物語は権力ある人たちの豊かさに比べ、庶民の本当に貧しい生活にどうしようもなくなった少年たちが立ち上がり、不公平さ、貧しさ、食べ物の不足を訴え、平和を求めて一致団結するという歴史的なできごとがもととなっています」と記されているが、著者はこの歴史的なエピソードを題材に、少年たちを見守るマドレ・ベルテや兵士のエステバン、教師のフランシスコなどのような存在をむしろ描きたかったのではないかと思った。
 国境のあやふやなヨーロッパを根無し草のように放浪しながら、国家や宗教や土地につながれて生きる人間のしあわせを願う人々……それは、カソリックやプロテスタントの絶対神とは異なる存在が、たしかに人々の暮しの心の空隙に息づいていた証である。
 

物語のなかへ 9

大谷典子著
『自転車紀行』・評(編集工房ノア)
―「図書新聞」掲載

 詩集の冒頭には「ラドン」についての詩が三編ならんでいる。  
  
  約束したので
  ラドンと
  それで今日またすすみます
  前へ行きます
       (「ラドンと」)
 
 これだけでもこの詩人の暮しのたたずまいや柔らかい感受性が伝わってくるような気がする。さらにつづくフレーズで「このごろ/とても前へ行きます」と「前へ行きます」を畳みかける。この繰り返しが痛々しいまでのひたむきさとして響いてくるのは、「約束したので」という一行のせいだろう。立ちはだかる正体の見えないものを懸命にかき分けてすすむその様子に、祈念のようなものが感じられる。
 「前へ行きます」という言い方は、ストレートで虚飾がない。いわゆる上昇志向的な価値観の対極にある、とても切実な生き方のベクトルを示している。
 読みすすむにつれて、ラドンはこの世にいないことがわかってくる。「ラドンと一緒/去年も今も」(「そら」)と記されるラドンは、おそらく詩人の愛犬だろう。いつまでも一緒にいられると思ったラドンとの別れをつづる三編の詩は、私たちの生は、大切な存在と一緒にどこまでも行くのだという思いによって成り立っていることを伝えている。「ずっと一緒」という約束は、自分が生きているかぎり続く、私たちの生そのもの。
 しかし、すすめばすすむほど、たった一つの約束が、いろいろなものをズンズン磁石のように引きつけて、気がつけば箪笥の引出しがもう閉められないほど満杯なのだ。そこで詩人は熱望する。そんな私をやすやすと運んでいく「サドルがほしい」(「自転車紀行」)と。 
 疾走するといっても、めちゃくちゃなスピードではない。なにしろ自転車だから、体に空気や色や音や匂いがぶつかってくる感覚がある。その手触りや空気感がどの詩にも満々と湛えられている。
 一つの関係が築かれて壊れていく歳月をべりべり音を立てながら自転車は駆け抜ける。通り抜けた耳のうしろで「あなたが裂かれる音/わたしが遠ざかっていく音/あなたがちぎられる音」(「べりべりいう壁」)がこだまする。
 ぐずぐずしたってしかたない。しかし、ズンズン迷わずに行けるものでもない。「前へ行きます」は、そんな詩人の独特の生のスピード感覚を的確に言い止めている。
 出会いもあったし、別れもあった。つくったり壊したり。捨てられないガラクタばかりが増えて……誰もが過ごしてきた歳月をこんなふうに歌えるのだなと思いながら、さらに頁を繰ると、こんな切ない詩があった。
「その日わたしは鳴子百合の葉を植えた/あなたの庭に侵入して/天気は良くて/何もかも巻き込むような空でした」(「不愉快とわがまま」)
 たしかにそんな出会いがあったなあとはるかな気持ちになる。
「差した葉は芽が出るか根が出るか」「鳴子百合。/芽か根かどっちでしょう」
 答えは、死ぬまでわからないだろう。
 詩人は華道の人である。「華道の人」という詩も面白い。「秘密はあとからあとから出てきます」「部屋にある観葉植物は危ない」「芽が出ると隠し事も出てくる」「アア、空が高くなる/夕方のにおいは開けっ広げで恐ろしい/高くなるほど赤裸々になる」
 それでも「前へ行きます」と、この際私もつぶやいてみたくなる。
 杉山平一氏の跋文に「痛々しいまでに世間と戦い自分をさぐる姿勢に心うたれる」と記されている。たしかに詩人の「自分をさぐる姿勢」は、私の現在をゆさぶる。
「下りエスカレーターを上るいきおいで/参ります/嘘・誇大表現・正当化・不現実化・引き延ばしはありません/待ってなくて良い    
 どんどん進んでくださいよ/倍々々速でとばします/落とし物なしで/あなたのもとへ」(「河を越える時」)
 待っていなくてもいいというところがいかにもこの詩人らしくて好きだ。こころから溢れそうになったこころを持ち運び、ときどきあたりに滴らせ、飛び散らせながら、前へ前へ。詩人の頬に当る風を私もまた感じる。

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プロフィール

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきます。

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