2017-10

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〈本〉の彼方 9

今井欣子、喜多さかえ、鶴﨑裕雄・著『連歌集 伊勢三吟』
(和泉書院刊)
―「図書新聞」掲載

 雅な芸術として中世から行われてきた「連歌」は、江戸期に入って俗のパワーにあふれた「俳諧の連歌」(俳諧または連句ともいう)にバトンタッチされていく。小西甚一氏の名著、『俳句の世界』の言葉を借りれば「俳諧は浴衣がけの連歌」であり、「連歌は、完全に古典的な感覚から成り立った藝術であり、おそろしく細かい神経を必要とする……磨きぬいた『雅』の世界」ということになる。俳諧の連歌、いわゆる連句は今日でも座の文芸として親しまれているが、連歌は一般的にはほとんど知られていないといっていいだろう。
 衰退した連歌の復興を願って、平成十四年、三重県伊勢市に三重連歌の会が発足した。本書は発足にかかわった三人による連歌集である。前田圭衛子氏が編集発行する連句誌『れぎおん』に連載された連歌三十二巻に番外の一巻を加えて一冊にまとめられている。
 三人で交互に詠んでいくのが「三吟」。一巻が四十四句からなる「世吉(よよし)連歌」で巻かれている。歌のやりとりはファックスで行われたそうだ。それぞれの巻の下段に随筆(留書)が置かれている。島津忠夫氏の序文に「下段の文章と合わせ読むことによって、座にあった人はもとより、座になかった人にもその雰囲気をいささかでも味わわせてくれることになる」と記されているとおり、留書を読むと四十四句の織りなす世界の奥行きがぐんと深まる。  
 著者の一人で連歌の復興に長年力を尽くしてきた鶴崎裕雄氏は、「連歌の楽しさは前句をいかに活かすか、そして自分の句がいかに活かされるかである」と記している。読みすすむにつれて、一人ではたぶん思いもつかないイメージの大胆な飛躍や響き合いといった付け合いのなんともいえない妙味に、しばし時を忘れた。

〈本〉の彼方 8

寄川条路 著『東山魁夷―ふたつの世界、ひとすじの道』
(ナカニシヤ出版刊)
―「図書新聞」掲載

 東山魁夷といえば、独特の青やエメラルドグリーンの作品がすぐ目に浮かぶ。本書の表紙にも緑が美しい『緑のハイデルベルグ』が使われている。しんと静まりかえっているのに、無数の声で満ちているようにも感じられる豊穣な世界……そんな作品の魅力の淵源に触れることができる一書である。
 本書は一九八三年にドイツの三都市で開かれた東山魁夷の展覧会を受けて、翌年一月に東京の日独友好協会で行われた魁夷の講演を適宜紹介しながら、著者が解説を加える形でまとめられている。読者は魁夷の肉声を聞くように、魁夷の創作に対する思いにふれることができる。
 北欧の風景を題材にした魁夷の幻想的な作品は私たちにも親しいが、二つの世界、東西を融合し昇華していく魁夷の創作活動のそもそもの出発点は、二十代のドイツ留学だったという。魁夷がフランスでもイタリアでもなくドイツを留学先に選んだのは、西欧美術史をじっくり学びたかったことに加えて、当時のドイツにはヨーロッパの貴重な絵画作品が数多く集まっていたからだと著者は解説している。若き日のドイツでの日々は魁夷の北の風土への傾斜を深め、のちに風景画家としてゆるぎない地位を確立していく基盤となっていったのに違いない。
 魁夷は聴衆を前に、日本画のルーツや、画材と技法についてもわかりやすく語っていく。日本画のルーツは、大和絵に端を発しているそうだ。明治の開国を経て、洋画の技法がどっと日本に流れ込んできたときに日本画が駆逐されなかったのは、大和絵以来の固有の伝統が日本人の心の中でしっかりと息づいていたからだろう。自然の鉱物を砕いて岩絵具をつくり、それを膠で溶いて絹布や和紙に描いていくプロセスそのものが、私たち日本人の自然との向き合い方、精神の源流をさかのぼる道筋に似ているような気がする。日本画の余白を生かした空間処理や陰影を描かずに奥行を感じさせる技法などには、日本の他の表現分野にも通底するものがある。
 日本画と洋画の境界がボーダーレスになって久しいが、魁夷は若い時期から自らの魂の赴くところに従って日本とヨーロッパ、この二つの世界を行き来し、日本画を広々とした場所へ連れ出した、いわば先駆者である。東西の文化の違いを深く掘り下げていくと、人間の魂が共振しあう、美をたたえた湖のようなものがあるのではないか。魁夷の美しい緑の世界は、その湖を象徴しているのかもしれない。

〈本〉の彼方 7

エレン・F・ブラウン、ジョン・ワイリー二世 著、近江美佐 訳
『世紀の名作はこうして作られた
――「風と共に去りぬ」の原稿発掘から空前の大ベストセラーへ、著者による著作権保護のための孤軍奮闘』
(発行・一灯舎、発売・オーム社)
―「図書新聞」掲載

 私が『風と共に去りぬ』に夢中になったのは中学生の頃だ。私だけではない。クラスの女子全員がアトランタやタラを心に刻みつけ、自分の生き方を貫くスカーレットの鮮烈な生き方に圧倒されていた。そしてレット派やアシュレー派にわかれて、あこがれの男性像を戦わせたりした。一九六〇年代初め、『風と共に去りぬ』は、少女期の通過儀礼のように私たちの目の前に置かれていた。
 こんなに面白い小説を書くマーガレット・ミッチェルがどうしてこれ一作だけしか残さなかったのか長い間不思議だったが、本書を読んでようやくその謎が解けた。『風と共に去りぬ』はミッチェルが一〇年ものエネルギーを注いでこの世に産み落とした、唯一無二のもの、生涯をかけて守りとおした子供のようなものだったのだ。
 本書は『風と共に去りぬ』の発刊七十五周年にあたって二〇一一年にエレン・F・ブラウン(フリーライター)とジョン・ワイリー二世(『風と共に去りぬ』の世界的なコレクター)によって出版された。原題は「Margaret Mitchell’s Gone With The Wind:A Bestseller’s Odyssey from Atlanta to Hollywood」である。今日累計販売数が三〇〇〇万部を超えるという超ベストセラーだけに、関連する書物は数知れない。にもかかわらず、原作がどのような経緯で発行部数を重ね、世界中で翻訳されてきたのかに的を絞った本はなかったのだそうだ。序文では「本書はミッチェルの伝記でなく、その著作の伝記であり、この小説の起源が生まれたミッチェルの幼少時代から、一つの文化現象にまで発展した現在までの歴史を描いたものである」と記されている。まさしく「ベストセラーのオデッセイ」である。
 著作権の法律が未整備だった時代にあって著作権を守ることが作者にとってなによりも大切だったことは容易に理解できるが、それにしてもここまでやれるものか。一九三六年五月の初版刊行に漕ぎつけるまでの出版社マクミラン社とのやりとりに始まり、出版後の海外での翻訳権、代理人との確執、盗作問題、再版をめぐる印税、映画化権、劇化権……難問が次々にミッチェル夫妻に襲い掛かる。多くの人物が二人の前に現れて、友好関係を結んだり、決裂したりとベストセラーをめぐる生々しい人間ドラマが展開されていく。
 作品を守り続けようとするミッチェルの意志はミッチェルが一九四九年八月に交通事故で不慮の死を遂げたのちも、夫マーシュ、兄スティーブンズ、アトランタの三人の弁護士、そして遺産管理会社へとリレーされて、今日もしっかりと継承されているそうだ。
 一点の妥協も許さない戦いの合間を縫うように、ミッチェルの手紙が引用されていて、ミッチェルの肉声を伝えている。「夫にほっぺをつねってと何度も頼んだので、もうつねってくれなくなりました。新人作家のほっぺに青あざがあってはいけない、理由を詮索され、事実を説明しなければならなくなるからね、ですって」―発売間近の頃のこんな愛らしい手紙に始まって、「ハッピー・エンドを熱望する声が多いのですが、あなたがお手紙で『スカーレットとレットがメラニーの亡骸のそばで和解の握手をする』ような展開にならなくて良かった、とおっしゃってくれて、どれほどうれしかったことでしょう」というファンレターへの心のこもった返事。海外著作権をめぐって確執のあった代理人のソーンダーズについては「契約書にサインをしておきながら、契約条件にしたがわず、またそれを何とも思っていないような人間は、わたしたちの周りには一人もいないのです」(マクミラン社、ブレッド社長への手紙)と手厳しい。
 日本では一九三八年に三笠書房から大久保康雄訳で出版されているが、本書によればそのときは海外での出版権が整っていなかった事情もあり、印税を払わずに出版していたらしい。本書には戦後、再度契約を結び直した経緯が詳しく書かれているが、こうした事情も『風と共に去りぬ』の長い航海の中の出来事として読むと一層興味深い。
 再版につぐ再版、映画化や劇化、続編とベストセラーの波乱の航海はつづいてきた。それもこれも作品の持つ魅力ゆえということになるのだろう。余談だが、私が一九九一年の冬に初めてアメリカを訪れたとき、遺産相続会社の許可を受けた初めての続編、アレクサンドラ・リプリーの『スカーレット』が書店の店頭を飾っていたのだった。思えば不思議な因縁である。後年、トニ・モリスンやアリス・ウォーカーの作品に惹かれていくようになったのも、もしかしたら『風と共に去りぬ』が私の心に種をまいておいてくれたからかもしれない。

物語のなかへ20

大倉真道 著『聖霊少女(セイント)「錫(スズ)」の大冒険――闇と光の戦い』(竹林館)
―「図書新聞」掲載

 錫(すず)という、一風変わった名前を持つ少女がこの物語の主人公である。全二一章、総ページ数八五〇頁を越える超大作だが、面白くて一気に読み通してしまった。
 女性性の一つの特質として、巫女性があげられると思う。それは女性の神観念と密接に結びついているだろう。女性にとって神は性を超えた絶対的な存在というよりは、対の関係性の中で浮上してくるかけがえのない存在である側面が強い。ところが世界の悪と戦う聖霊少女、錫には対幻想的な視点というか異性観念が希薄なのだ。なぜなら、彼女は両性具有的存在として物語の中で位置づけられているからだ。
 錫の二人の親友は彼女をTTO、「単純、天然、臆病」と揶揄するが、性を超えた錫のキャラクターが、この物語を自由な風の吹き渡るファンタジーにしていると言ってもいいだろう。
 タイトルは聖霊少女と銘打たれているが、聖霊とはこの物語では「聖霊師」という職業としてまず登場する。
 「聖霊師は悪霊を追い払う除霊とは違い、悪に冒(おか)された霊を元の善なる御霊(みたま)に戻してやること」とある。霊はもともときれいなものであるという認識のもとに、霊に付着した汚れを取り去ってもとのきれいな霊に戻すのが聖霊師なのである。人間存在の根幹は聖霊であるからこそ、錫や少女たちは世界を悪から守るために戦うのだ。
 錫は十八歳になったのを機に聖霊師である父の見習いをつとめるようになる。人間界では十八歳の少女であるが、実は神の国では非常に高い霊能力を備えた霊神の一人、〈錫雅美妙王尊(しゃくがうましみょうおうのみこと)〉であり、重大な使命を帯びて人間界にやってきたという設定である。本編はファンタジックにつづられた錫の成巫儀礼の修業の日々と言っていいかもしれない。
 たぐいまれな霊力をそなえつつTTPな錫を支えるのは、二人の親友と祖母、母、そして錫の祖父とともに修業を積んだイタコの〈気障(きざわ)りの婆(ばあ)〉である。この女性たちの時空を超えた靭帯が錫の任務遂行をサポートしていく。物語の発端をつくった祖父も聖霊師の父もこの物語ではいわば脇役。連綿とつづく女性たちの物語と思うと、いっそう爽快である。そういえば、神の国のいちばんエライ〈天甦霊主(あめのそれいぬし)〉も女性のようだ。気持ちよく読み通せたのはそんなことも影響しているかもしれない。
 天上は死んだ者の魂が平和に暮らす楽園、白の国と生前素行の悪かった人の魂が行く言わば地獄のような黒の国と、もう一つ、白の国を支配しようとする邪悪な狡狗たちの跋扈する拗隠の国がある。狡狗たちとの戦いに威力を発揮する宝器は人界のどこかに隠されている。それを発見するために人間界に派遣されたのが錫なのだ。
錫のかたわらには狡狗から錫が救い出した狛犬みたいな存在、「いし」がつき従っている。
 錫といしの信頼関係も、この物語を奥行きのある深々としたものにしている。霊の力は人間と動物の言葉を超えた交感に置き換えてみるともできるのではないだろうか。疑うことのない無辜な存在に向き合ううちに魂が通じ合う……動物好きな人なら日々感じていることだ。そう考えるとこの物語はありふれた日常を、視点を変えて捉えてみたともいえるのかもしれない。
 錫(すず)の母は鈴子(りんこ)、大切な神器のひとつが集気鈴……世界に鳴り響く美しい鈴の音と温かみのあるユーモラスな会話が時空を超えた聖戦をどこかのどかなものにしている。本編が『錫』シリーズ第一弾となっているところを見ると、錫の戦いはいま緒についたばかりなのだろう。天上界にも人界にもまだまだ一波乱も二波乱もありそうだ。錫を応援しながら錫から元気をたっぷりもらった。次回作が楽しみだ。

〈本〉の彼方 6

現代英語文学研究会 編『〈記憶〉で読む英語文学――文化的記憶・トラウマ的記憶』
(開文社出版)
―「図書新聞」

 本書の副題は「文化的記憶・トラウマ的記憶」であるが、記憶は個々人の脳裏に刻まれたプライベートな領域のものであるばかり思っていた。「文化的記憶」とはどういうものなのだろうか。「はじめに」において、それは「ある集団がそれを介して自らの過去を選択的に構成して集合的アイデンティティを確立するための、組織化され、諸々のメディアによって客体化された共通の知識の蓄えというコンセプトである」と説明されている。
私たちは歴史認識や歴史記述が客観的な一枚岩で成り立っているものでないことを知っている。意図的な歪曲や改ざんの危機にさらされながらも人々に受け継がれていく共通の知識の蓄え、文化的記憶こそがいわゆる歴史にとって替わられるべきものなのかもしれない。
 本書は、文学作品の中から「文化的記憶」と「トラウマ的記憶」を取り出すことによって、個人的な記憶と集団的な記憶の相互作用を検証しようという試みである。
 これまでの小説の鑑賞や評論とはかなり異なる切り口の七つの論考が並んでいる。
 アメリカ文学における文化的記憶として取り上げられるのは、第一章メルヴィル『ビリー・バッド』の「後日談」、第二章フォークナーの『征服されざる人々』、イギリス文学から第三章『ハムレット』、第四章『フランケンシュタイン』、つづく第五章から第七章までは、アメリカ文学における心理的・トラウマ的記憶として、マーク・トウェインの未完作品「インディアンの中のハック・フィンとトム・ソーヤー」、フィッツジェラルドの『夜はやさし』、トニ・モリスンの『ビラヴィド』が俎上に載せられている。
 十七世紀に書かれた『ハムレット』において、奥田優子が文化的記憶として注目するのは「亡霊」である。当時の「エリザベス朝社会に刻み込まれた宗教的記憶」を、近年研究者の間で試みられてきた「旧教と新教の宗教対立」という観点よりも時代をさらに遡り、五世紀半ばに没したアウグスティヌスの教説をもとに「よみがえる死者の記憶」として読み解いていく。
 亡霊は日本的に言えば成仏できずにさまよっている死者の姿である。生者が死を恐れ、死者を畏怖して祀る行為は素朴な信仰に共通する根源的な有り様だろう。王の亡霊は古層の信仰の投影としてシェークスピアに呼び出されたとも言える。原罪という意識に逃れがたく縛りつけられた強固な一神教のヨーロッパ世界にあっては、「人は神の記憶を生きながら、同時にその記憶の一部を刻印のように心に宿した存在であると言いうる」と著者は述べる。たしかに亡霊も死者もそして生者もまた「無辺の神の記憶」の域を出ないということになるのかもしれないが、では神とは何か。死者の記憶の背後に広がる古い時代の土俗的な世界への通路を改めて垣間見せられた気がした。
 集団としての「トラウマ的記憶」から山下昇がアプローチを試みているのは、トニ・モリスンの『ビラヴィド』である。人間社会に深い傷跡を残す奴隷制度について、『ビラヴド』の文庫版あとがきで訳者の吉田廸子氏は、トニ・モリソンには「痛みに充ちた過去から目を逸らし、それを忘却に附そうとする今日のアメリカの風潮、モリスンの表現を使えば『全国規模の記憶喪失』への危惧がある」と述べている。
 『ビラヴィド』は、奴隷制度下に子どもを送り出すよりはと自分の産んだ赤ん坊を殺すという苦渋の選択をした奴隷のセサと彼女を取り巻く人々、そしてビラヴィド(本稿では上記のように表記)の織りなす物語である。ビラヴィドの正体について著者は5つの解釈を紹介しているが、その一つがビラヴィドを黒人の歴史の集合体とみなすものである。「ビラヴィドの語りには個人を超えた経験が組み込まれており、中間航路を行く奴隷船での奴隷たちの経験が(略)象徴的に描かれている」という解釈は、トラウマ的記憶を作家がその内奥でいかに引き受け、作品化していくかの端緒を語っている。
 著者はトニ・モリスンの語りの技法についても言及し、アフリカ的語りについて触れている。「アフリカ的宗教においては生者と死者の境界はあいまいであり、生者の生活の中に死者が生きている(侵入してくる)。またアフリカ的コミュニケーションは基本的に音声によるものであり、呼びかけと応答(略)である」「この小説の基本形はアフリカ的な呼びかけと応答の連続であり、一連の過程を経過していく中で感情的な浄化が達成される」「トラウマ的記憶を語りによって解放し、再生を遂げていくことが可能であることも本小説は豊かに描き出している」と結論づける。
 人は誰もが記憶を湛えた器として記憶の海を渡っていく……集合的アイデンティティはそんな無数の航路が時代や場所を超えて形づくる澪のようなものなのかもしれない。

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プロフィール

梶葉子

Author:梶葉子
読書のよろこびはなにものにもかえがたいものです。
私を実に実に遠くまで連れ去って
みえない世界を垣間見させ
そこに吹く風や漂う香りを感じさせてくれる
書物に感謝しつつ
ささやかな感想をしたためていきま

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